日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





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忙しいような、忙しく無いような。

久米島馬牧場より、井上福太郎です。

真夏の沖縄、海の日連休から羽田直行便が飛び出している久米島。観光シーズン本番に入りました。

青い空、エメラルドグリーンの海、白い砂浜。

誰もが憧れるロケーションの中、皆様に乗馬を楽しんで頂いております。

そのありのままの久米島の素晴らしさに甘んじることなく、自分達が心がけていることをいくつか紹介したいと思います。

一つは馬を通じて久米島のミドコロを紹介すること。

そしてもう一つはお客様が乗馬しているその瞬間を美しく切り取って差し上げることです。

美しい砂浜で乗馬するその瞬間を一生の思い出にして欲しい。

沖縄県内、白い砂浜のビーチは数あるでしょう。白い砂浜で憧れのビーチライディングが出来るスポットもいくつかあるでしょう。

でもここでこの瞬間を味わった記憶をより美しく残して頂くために、唯一無二の自分だけのポストカードになるような写真を撮りたいといつも考えています。

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在来馬と共に。

馬に恋する若者が与那国島を目指すべき10の理由 ⑨

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理由その8 日本中の馬関係者が訪ねてくる

 

かつて東京にいた頃、私はいろいろな分野の第一人者の方にお話を聞いて文章にまとめる仕事をしていたことがあります。あるテーマを深く掘り下げたり、新しい視点を見つけたりするためには、まずはその世界を探求している専門家を「見つけること」、そしてその方にコンタクトをとって「会いに行くこと」が、仕事の重要な一部でした。

 

1350万人が住む東京という街は、多種多様な人に会うことができるという意味で、たいへんすぐれた場所だと思っていました。

 

一方、与那国島は人口1500人の小さな離島です。外から人が来るにしても、飛行機や船を乗り継ぐしかない、時間もお金もかる不便な土地です。当然、新しい出会いの機会は少なくなるはずなのですが・・・

 

こと「馬」というテーマに限っていえば、驚くほど多種多様な方とお会いする機会に恵まれます。なぜなら、このような不便なところにも関わらず、馬に関わる方が次々に島を訪れてくださるからです。日本中から、時には国外からも。

 

乗馬を趣味として楽しんでいる方はもちろんのこと、インストラクター、トレーナー、競走馬の騎手、調教師、生産牧場の方、馬の獣医さん、馬術関係の方々、馬の研究をしておられる大学の方々(動物学、行動学、コミュニケーション、臨床など分野もいろいろ)、教育関係者、写真家、メディアの方々・・・

 

言うまでもなく、これは、与那国馬という希有な存在のおかげです。馬に関わっている方の多くが、一度はうわさに聞いた与那国馬に会ってみたい、一緒に海で遊んでみたい、大自然の中を走ってみたい、研究してみたい、と思われるようなのですね。日本の在来馬としては自然に近い形で残っていること、与那国が日本の最西端であり国境の島であること、「広場」が多様性を受け入れる自由でオープンな文化であることもきっと関係しているのでしょう。

 

東京で目的をもって人に会うためには、それなりのエネルギーやプロセスや(時にはある種の技術も)必要でした。ところが与那国にいると、こちらがなーんにもしなくても、意図すらしなくても、あちらから訪ねてきてくださる。しかも、この島のリズムというか、すきまがある感じというか、双方リラックスして、うかうかした気分で「馬話」に花を咲かせることができる感覚があります。

 

ちっぽけな島なのに、なぜか馬関係者が集まってくる。不思議なことです。もしかして馬の神様に愛されている土地なのかなーなんて思ったりしています。

 

 

在来馬 working horse その3

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久米島馬牧場からサノちゃんです。

ついに登場した台風1号、予想に反して沖縄には大きな被害がなく過ぎていき、ホッとひと安心。

でも今からは台風シーズンです。
昨年の与那国のことを考えても、気を引き締めて台風を待ち受けなくては!

さて、在来馬について。

先日知り合いから、以前千葉の乗馬クラブに行ったヨナグニウマ2頭が別の乗馬クラブへ移動したと聞きました。
この2頭は2008年から4年間続いた、全国乗馬倶楽部振興協会の在来馬活用事業というもので内地へ旅立った子たちです。
当時ヨナグニウマふれあい広場に勤めていた私は、選ばれた馬たちの初期調教と飼養管理に携わり、内地へ向かうときには同行しました。
船を乗り継ぎながら3日間ほど…長旅を共にしました(笑)

鹿児島で追加の調教を受けたあと、全国乗馬倶楽部振興協会を窓口にして各地に引き取られていった馬たち。
乗馬クラブ、観光施設、農業高校など。
上野動物園にも居ますね。
北海道にある国の施設にも居ます。

その中の2頭は、現在私たちのところにいるダイとククルです。
彼らは和歌山の観光施設から我が家にやって来て、今はあらゆる場面で活躍してくれています。

内地へ旅立ったヨナグニウマたち、様々な事情により持ち主が変わり転々としている子もいるようです。
個人の方が飼っている子も何頭かいます。
逆に最初に行った先に今も居る、というケースの方が少ないです。

人も引っ越しや転職をすることはありますし、人生は旅である!とも思うので(笑)、同じ場所同じ持ち主のところに居続けることだけがいいとは思いませんが。
何よりも願うのは、彼らが心地よく健康で生きていること。
人に必要とされ、どんな形であれ活用してもらっていること。
それが在来馬の姿だと思うので。

心からの願いと彼らへの責任から、私は今後もストーカーのように彼らの追跡をしたいと思います(笑)
そしてこの事業によって得た色々な反省を活かしていきたいです。

馬を活かすのは人、馬のことを伝えていけるのも人。
在来馬が人と共にこれからも生きていけますように。

写真は北海道にいるヨナグニウマのサクラ。
元気で良かった~。

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こどもとウマの可能性2

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 またしても間隔があいてしまいましたが・・・うみかぜホースファームのなんちゃって場長、ヒメでございます。   

 前回はこどもとウマの可能性について書き始めましたが、今回もその続きです。   

 マークンが与那国島で馬広場を始めたときから、ヨナグニウマはずーーーっと子供たちとかかわってきました。かれこれ・・・もう33年?34年? え? そんなに?  

 振り返ってみると、長い長い歴史です。必然的に、馬広場にかかわる人もずーっとコドモとウマにかかわり続けているのです。 

  

  与那国島では、島の子供たちが中心メンバーである「日曜町民乗馬教室」を毎週欠かさず、これも30年近くになるのかなあ? 続けていますし、島で一番 小さな比川小学校(なんと全校生徒10人未満! だから一人が一頭の馬を独占できるんです)には放課後に活動する乗馬クラブまであります。これはたぶん、始まってから16年ぐらいかな? 

 比川小学校の運動会では乗馬クラブのメンバーによる乗馬演技が毎年恒例となっていて、町民には大好評です。こうした子供たちの活動は、馬広場はボランティアで参加しています。そしてそれを経済的に支え続けてきたのが、馬広場の「あしながおじさん」「ファンクラブ」の方々なのです。本当に感謝、感謝しかありません。

 

 さて、10年前に本島にヨナグニウマ3頭を引き連れてやってきて、8年前に南城市に牧場をつくって、ようやく4年前に、本島でも小学校の馬クラブの活動が始まりました。 

 火付け役は、広場のあしながおじさんで、当時小学校の校長先生をなさっていたHさん。馬が大好きで、子供たちに馬が与える良い影響を知り尽くしている方なのです。

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   言葉を使わずに馬と「お話し」しているところ。みんな真剣ですねー

 

 今年で4年目に入りますが、毎年いろんな子供たちがいます。印象深いのは、いわゆる「ちょっと問題がある」ように見える子供たちです。不登校気味の子、発達障害かも?な子、 まったく関心を示さずずっと寝てる子(クラブ中も授業中も。家で寝てないのかなー?)・・・最初は、おっとっと、大丈夫かな? と思うこんな子たちですが、なんと全10回のクラブが終わるころには満面の笑み、発言も多くなり、行動も積極的になり、馬にもたれかかったり、足を踏まれそうなぐらいベッタリひっついて離れなかったり。その変わりっぷりがすごいんです。

 特別なことはしてないつもりなんですけどね・・・ただ、子供たちが安心して安全に馬とふれあえる環境を作ってあげて、ちょっとだけ意図があるプログラムをつ くって、まさにその場面で必要だな、と思われる最小限の声かけをしてあげるだけ。あとは、うちの優秀な馬たちがいい仕事をしてくれます(^^)/ 

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 「草、食べていいよ」 お話はロープと身振りで。ちゃんと伝わりましたよ。

 

 4年目の今年、第3回目の日は、言葉を使わずに馬とお話する方法を伝授しました(^^)/ うふふ、真剣な子供たちがかわいい~。

 さて、全10回が終わるころには、彼らは馬とどんなお話ができるようになるんでしょうね? 

  

変化

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一気に夏!毎日夏日が続いている久米島です。青い空、白い入道雲、エメラルドグリーンの海。やっぱり夏はいいですね。

でも、熱中症には気を付けましょう(笑)。久米島馬牧場より井上福太郎です。

先週のブログで、久米島馬牧場では初代の2頭を第一線から下げることを決めたとお伝え致しましたが、実はこの決断を下すことが出来たのも新しい馬が来たおかげなのです。

今年、ヨナグニウマを愛するヨナグニウマふれあい広場で馬を学んだメンバーでヨナグニウマアライアンスという同盟を組みました。
その仲間の間で、馬の行き来を今年から試みているのです。

一応予定していた今年の馬達の移動、輸送が無事完了し、本島から久米島へ1頭。与那国から石垣へ2頭、与那国から本島へ2頭の馬の移動が行われました。

久米島にやってきたのは、ヨナグニウマふれあい広場生まれだが、父は洋種のミックスであるイース。どつしりした体格と優しい性格が特徴的なセン馬です。

そして、つい先日久米島にはもう一頭の新しい馬が。

与那国で長らく暮らしいてた友人家族が共に過ごしていたヨナグニウマのオスを預かることになりました。名前をイリフ。4歳の種馬です。

新しい仲間が入ると、色んな変化が生じます。変化は大きなパワーを伴うので、変化が起こる時は大変なことが多いものです。馬達も大きなパワーを沢山放出します。人も同じ。今まで色んな変化を続けてきた僕たちなので、変化には慣れているとはいえ、やっぱり疲れることが多いのです。

でも、この変化の先にあるものの大切さとそれが日常になる時を知っているから、チャレンジします。

そして、大変だけれども新しく仲間になる彼らと初めてコンタクトをとる瞬間。初めて背にまたがる瞬間を想像するとワクワクが止まらないのです。

1枚目の写真は、うちの若雄オビと対峙するイリフ。

そして、下の写真はうちの働き頭ダイが囲うハーレムに入れずに様子を伺うイースです。

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人はただ、馬達に任せるしかないシーンです。

久米島馬牧場の仲間も12頭になりました。今後これ以上増やす予定はないので、この仲間達と共に久米島馬牧場らしい馬達との関係性を構築して行きたいと思います。

馬に恋する若者が与那国島を目指すべき10の理由 ⑧

 理由その7 サバイバル感覚が身につく

 

この時期になると、沖縄の人々は天気図を気にしだします。そう、台風です。なぜだか今年はまだひとつも発生していないので、そのうちすごいのがくるんじゃないかと、ちょっとどきどきしています。もういつきてもおかしくありませんからね。

 

昨年の台風21号は、国内観測史上4位の最大瞬間風速81メートルを記録したすさまじい台風でした。与那国島の住宅は、全壊10戸、半壊27戸を含む322戸が被害を受け、馬たちが暮らすヨナグニウマふれあい広場の建物もおおきく損壊しました。

 

それだけの天災だったにもかかわらず、死者・重傷者がひとりも出なかったことは幸いでした(馬たちもみな無事でした)。もちろん、幸運もあったのだと思いますが、与那国の人々の、台風に対する経験値の高さも関係しているのではないかと思っています。なにしろ台風は毎年必ずやってくるのですからね。

 

台風が来るぞーっとなったら、みな万全の備えをします。風に飛びそうなものは片づけ、窓を覆います。意外に思われるかもしれませんが、馬を建物の中に閉じ込めることはしません。コンクリートの建物だって破壊されることがあります。むしろ馬が自由に動けたほうが安全度が高いのです。与那国馬のサバイバル能力は、人間よりはるかに高いですよ。

 

台風が上陸している間は、外を歩こうなんて発想すら浮かびません。人も馬もただひたすら過ぎ去るのを待つのみです。

 

台風の大小にも寄りますが、それだけ備えていても、毎回なにがしかの被害は被ります。停電は毎度のこと。天候が荒れている間は、船も飛行機も欠航が続きます。それもあらかじめわかっているので、不便をどのように過ごせばよいか島の人は知っています。

 

日常は壊れたものを修復することから始まります。毎年壊れ、それを直し、あるいは新しくする、という繰り返しです。

 

たいへんねーと思われるかもしれませんが、このように人の思考や行動を凌駕する自然の姿を、ふだんから体感として学ぶことができるのは非常にありがたいことだと私は思っています。自然の圧倒的な力を、ある意味で段階的に体感できるわけですからね。(といいつつ、どうぞおおきいのが来ませんように、といつも祈ってもいますけど…)

 

こうしていくつもの台風を経過するうちに、非常時に起こるさまざまな可能性をシミュレーションし、それをサバイバルするための現実的な判断を、人も馬も学んでいくのだと思います。

 

こんなに建物が壊れていても馬たちは傷ひとつありませんでした。

 

在来馬 working horse その2

久米島馬牧場からサノちゃんです。

あっという間の日曜日、そして気が付けば6月も終盤。
2016年は半分終わるんですね。早い!

いよいよ夏の繁忙期を迎えている久米島
毎日たくさんの方が馬たちに会いに来てくださっています。
ありがたいことです。

そんなトップシーズンを目前に、私たちはひとつの決断を。

今まで第一線で働いていた初期メンバー2頭(シンノスケとベッカム)を群から離し、2頭での暮らしをスタート、営業からは退くことになりました。
詳しくはまた久米島馬牧場ブログで書きたいと思いますが、昨年あたりからの2頭の心身の状態を考慮してのことです。

働く馬の引退。定年?
これまでも常々考えてきたことではあります。
突然仕事をしなくなることが馬にとっていいことばかりとは思えないので、あくまでも第一線を退く、という意味ですが。
バリバリ働く若い頃とは違って、あくまでも健康維持のため、気持ちのハリのため。
そして、年老いた馬だからこそ出来る仕事のため。

牧場を始めて四年間。
シンノスケとベッカムにあらゆる場面で助けられ、文字通り生活を支えられて、彼らと共に歩んできました。

これからはちょっとゆっくり過ごしつつ、でも彼らだからこその活躍の場を見つけていけたらいいなーと思います。
彼らが心身共に健康に長生きできるように、彼らの素晴らしさ、彼らと過ごすことで私たちが得た豊かさをもっとたくさんの人に知ってもらえるように。

とりあえず、散歩がてら近所の小学校の草刈り(草食べ?)でもしに行きましょうかねー(笑)

ちなみに完全引退ではありませんので、シンノスケとベッカムに会いたい方、一緒に遊びたい方はいつでもリクエストくださいね。
のんびり馬遊び、楽しみましょう♪

在来馬だからこそ考えられる、引退後の新たな暮らし。仕事。
色々模索していきたいなぁ~。

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写真は2012年、まだ営業を始める前。
初めて2頭と海に入ったとき。

大好きな思い出の一枚です。

みんな若いね~っ!(笑)