日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





海馬遊び

夏ですね、暑いですね~、馬も人も大変です。こんな時には何と言っても「海馬遊び」です。沖縄本島にも与那国島にも「海馬遊」びを求めてくる方々で込み合っています。人も馬も海の中なので、涼しくて気持ちいいのです。それにこんな遊びはどこでもやってませんからね。でも最近は関東や関西でも始めた所もありますね。さてこの遊びは一体いつから? 誰が始めたのでしょう? 馬楽のすすめ本日はこの海馬遊びを学術的(?)に徹底解明したいと思います(大げさですね)。

 

で「海馬遊び」はいったいどういうことをするかと言えば、海の中に1mぐらいの深さまで入って乗馬をしたり、馬のシッポにつかまって泳いだり、馬の身体に水をかけて遊んだり、馬とお話したりすることなんです。まあそれがエキサイティングだったり、癒されたりもするのです。それに透き通った水や白い砂浜も効果的です。

 

実は海馬遊びの起源は水牛でした。ヨナグニウマが手に入る前に水牛を飼っていて、3歳で500キロありましたか、それにまたがり、のっそのっそと山の中を部落中をお散歩してました。ついでにと浜へ出て、ついでにと海へザブン。もともと水が好きな水牛さんは何のためらいもなく、すいすいと水の中へ行きました。でも初めての日は大変でした、すいすい入っていったものの足がつかなくなったことに気が付いて、冷静な水牛が慌てまして、僕に助けを求め抱きついてきたのです。危なく二人で溺れるところでした。

その後馬が手に入り、ひたすら裸馬・一本手綱で走り回っていたのですが、当然浜でも駆けていました。汗をかき、疲れたころ、海に入って洗ってあげようと、手綱を海へ向かわせたら、すんなり入って行きました。そして胸までつかると、ふっーと気持ちよさそうにしています。そこであれこれ海の中で遊び始めたのです。尻尾につかまって泳いでも許してくれました。海馬遊び、暑い与那国、裸馬、一本手綱だったから、馬具もなく濡れても平気だったから、自然に生まれてきたのでした。そ当時はだいぶ無茶もしました。漁港で船を下す斜路から騎乗のまま深い海へザブーン、船の横を馬と泳いでいたこともありました・・・。

日記をひもとくと1989年・昭和64年、平成元年からやっていたようです。そしてこれは僕こと「マークン」が始めたのです!

 

海馬遊び「カイバ?」「ウミウマ?」どう呼ぶのですかと聞かれる時がありますが、脳の「海馬」と区別して、ウミウマアソビと呼んでいます。(海馬遊びで脳の海馬が活性出来たら文句なしですね)

 

実はこのヨナグニウマでの海馬遊びはいいとこだらけです。なんたって落馬OK,落馬を気にしなくていい乗馬はどこを探しても、これしか有りません。何年も前ですが、毎年夏休みにやって来てた、脚の不自由なMちゃんは、暑い中ひたすら馬場での曳き馬乗馬でしたが、ふと思いつき海の中のレッスンに切り替えたら、それは楽しくて楽ちんな時間になりまたし。その後海馬遊びはどんどんしょうがいのある方たちへ広めました。沖縄本島では障害者施設の年中行事として行っています。しょうがいしゃの海馬遊び、その効果は計りしれません。願わくば「海馬遊び」の心身に及ぼす効果測定をやりたいものです。そしてホースセラピーの海版を世界中に広めたいものです。

 

もうひとつヨナグニウマでの海馬遊びの利点は背の高さですね。体高115センチのヨナグニウマ、ザブンザブンと馬の背が隠れるぐらいまでのところで入りますが、浅からず深からず、子供もおぼれることなく遊べるし、サポートする側も支えやすい高さです。大きな馬でやるとそうもいきませんね。この高さだからこそ尻尾につかまって泳ぐことも危険ではなくなります。

 

この尻尾に順手でつかまって泳ぐことを我々は「しっぽっぽでゴー」と呼び、シッポに逆手でつかまって、空を見上げて泳ぐことを「極楽スイスイ」と呼んでいます。お客様から馬は嫌ではないのですかと聞かれますが、大丈夫です、嫌がってはいません、なぜなら全く拒否行動が出てませんからね。以前子供にライフジャケットを付け、20数名を数珠つなぎにして、列車のように海の中を走ったこともあります。ギネスものですね。写真がどこかに有ったよなー。

 

最後になりますが、ヨナグニウマでの海馬遊びは正に「瓢箪から駒」ならぬ「馬楽から駒」。常識に囚われない馬遊びをしていて生まれました。非・常識な馬遊びもっともっとやりましょう!そういえば数年前にスリランカで像の海遊びを見ましたよ、行ってみたいな~。

2013715

親方 マークン

 

*海馬遊びの写真は後程公開します。