日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





ヨナグニウマ チルドレン

 子どもは馬が好きだ。怖いと言ってなかなか馬に近づかない子も、よく見ていると馬が好きなんです。そんな子どもたちの心によりそって始まったヨナグニウマと子どもの活動、しぶとく持続し発展しています。

 与那国島では、比川小学校運動会での乗馬演技が今年で13回目を迎えました。生徒わずか10名の小さな小学校ですが、島中の人が乗馬演技を見にやってきます。今年も「カドリーヌ」や「ジムカーナー」と真剣でスリリングな演技で大きな拍手をいただきました。そして沖縄本島でも大きなイベントが行われました。今年で5回目を迎えた、「難病の子どもたちとの馬とのふれあいと乗馬会」、今年もなじみの顔に出会えて、静かな興奮の中無事に終わりました。

 実はこの2つのイベントは我々スタッフにとって、一年で最大の仕事になっています。練習の時間数、馬の状態、アイディアの出しあい、内容の詰め、そして安全確保とスリル感。スタッフは時間をかけて真剣に企画します。そして当日は実施側なので何が何だかわかりません。が終わった後の子どもたちの輝く瞳、喜びの声……何というのでしょうか、あの何とも言えない彼らの幸せな感がひしひしと伝わってくるのですね。それだけでこの仕事は報われています。

 ところで先日、今年もモンゴルに行ってきたという友人が、タヒ(蒙古野馬)の写真を見せてくれました。そういえば十数年前でしょうか、我々も与那国の「子ども乗馬クラブ」の子たちとタヒを見に行きましたね~。その時の感動がよみがえりましたよ。


 タヒは地球で唯一残っている野馬(普段見かける馬は家畜馬、分類学的に別種)です。なぜ唯一かというと、ずっとずっとその昔の馬は「野馬」でしたが、そこから分化した「家馬」になるのですが、「野馬」は風をも受けて立ち、攻撃もあり、人を受け入れることができず、狩りの対象となり、一時期はモンゴルから絶滅したのです。気が付けば狩られ捕獲されたタヒは欧州の動物園に沢山いたのです。そしてオランダのある人が保存の使命感に目覚めモンゴルに戻され、保護されかろうじて生き延びているウマなのです。「野馬」は絶滅しかけてるのに「家馬」は生き延びている。この違いは、実は家馬も追われると逃げる動物ですが、安全圏内だと人に興味を持つのですね。近づき方によってはこの距離が縮まり、いつの間にか家畜となって、結果絶滅しないでいるのです。
*ここでは野生馬と家畜馬をわかりやすく「野馬」「家馬」としました。

 与那国馬(他の在来馬)もいまだに絶滅の危機があります。こんなにも西洋の馬の血が混じってない馬は世界的にも希少で貴重なんです。それに外乗も子供乗馬も荷物の運搬でもなんでも仕事ができて、ふれたり乗ったりした方のほとんどは可愛いですねと喜んでくれるのですが、何故なんでしょうか、いまだに保存に拍車かかりません・・・。

 おっと今日のお題は「ヨナグニウマチルドレン」ですね。だいぶ話は遠くに行きました、モンゴルまでも。冒頭にありますようにヨナグニウマと与那国の子どもの付き合いはこの30年で数えきれないくらいの数があります、垂れ流しの乗馬体験というところです。しかしですね、馬を経験した子供たちが大人になって再び馬広場を訪れるのは本当に稀ですね。何故なんでしょう? 人には人の都合ってものがあるしなぁ、そうだ与那国にもいろいろ事情があるからなー。ちょっと帰るのにも離島だから交通費が高いし、戻ってても仕事はないし、縦社会は不自由だし・・・etc、なかなか帰って来れない島なのです。・・・ですから・・・こちらから押しかけたんです沖縄本島に。ここに支部「うみかぜホースファーム」を作って早4年が過ぎました。首尾は上々、与那国島から本島の高校や大学に行った子が訪ねてきたり、ボランティアに来たりのことも始まりました。つい最近はこんな電話がありました「マークン、今仕事で要らなくなった馬車を引き取っているんだけど、要らない?」与那国で小さいころから知っている子です。今は成人になって子供もいます、本島で働いているんですね。おおお何と嬉しい電話だ! 

 
 与那国島で始まった子供とヨナグニウマのふれあいは、沖縄南部でもできるようになったし、与那国島の牧場から独立した仲間が浜比嘉島久米島伊江島にも牧場を開いたり広がっているんです。ヨナグニウマと遊んだ子供たちを「ヨナグニウマチルドレン」と呼ぶことにします。ヨナグニウマチルドレンは今や沖縄中に「ピンクのカビ」のようにはびこっていくことでしょう。

 ヨナグニウマチルドレンの話、またしましょう。

                   2014年2月10日 久野マサテル
*この文章は馬新聞N0、83号、2013年10月発行に記載したものに大幅に加筆しました。