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日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





乗せない乗馬 教えない乗馬

久野マサテル

 2014年 明けましておめでとうございます。(すみませんもう2月ですね)

 馬関係者湧き上がる2014年・午年。馬が干支に入れてもらってほんとによかった。お釈迦さまありがとう! 新聞にテレビにラジオ、そして本にと、あちこちで馬が大モテの2014年が始まりました。

 元旦の朝、スタッフは親方手づくりの「おせち」を目の前に、心新たに「今年一年の馬の健康・スタッフの健康・島の平和と、ついでに馬商売の繁栄繁盛」の祈願をし、お屠蘇(おとそ)とするめ、昆布、干し柿、みかん、そしてお年玉(親方の実家長崎風)を一人ずつもらい、やっとおせちにありついた。もちろん馬たちにも「おめでとう」の声をかけ、美味しい草をたっぷり上げてからの人間のおせちです。

 今回のテーマは「乗せない乗馬・教えない乗馬」と相成りました。というのも、昨年放映されたNHKの番組で「モンゴルの少年が馬の長距離レース、ナーダムに出るために練習をしているドキュメント」の録画をこの正月に見たからです。見て感動した方も多いと思います。僕もそうです。新馬の御しかたがうまくいかなく、子供は悩みます。でも先輩は教えません。自分で考える、一生懸命に考える、悩む、悩む、そこまでいった子が、周りの人のちょっとの一言にハッと気が付くのです。そしてまた気を取りなおして努力する。そこに自信と勇気を獲得した子供がいる……。まあ簡単に言えばそんなお話でした。

 僕らも12年前に与那国の子供たち5名を連れてモンゴルに行きました。確かにあの時も幼い子供が父親と並んで、堂々と馬に乗って仕事している光景に出合いました。その時の子どもの「いっぱしな目つき」を今でも覚えています。

 「教えない乗馬」いいですね。実は僕らもこれに近いことを昔からやっています。「乗ってればいいさ」「走ってればいいさ」「おっこってもいいさ」てな具合に。でも落っこちたら大変な人もいるので、そうはいいかない時もありますが、それでもすぐには乗せません。別に意地悪をしているわけではありません。ただ余りにも、当の本人の思いをかえりみず、怖かったり躊躇したりしている子供やしょうがいを持った方を、ひたすら乗せよう、どうにか乗せよう、無理やり乗せようとする親や介護の方、先生、それに馬の関係者が多いですね。小さい子供もそうです。
 僕等のやり方はこうです・・・。まずは親から乗せ、介護者から乗せ、彼らの楽しそうな顔を当人に見せることにします。するとどうだろう、子どもは自ら手を差しのべ乗りたいというし、車いすの人は自らから車を動かし、馬に近づいてくるようになったのです。

 ただただ馬に乗っけちゃえばいい、ってもんじゃないですよね。イベントでやっている体験乗馬会でよく見かけます。嫌がる子をむりくり乗せる光景を。まずは乗りたいと思う心をくすぐるのが大切です。ちょっと待てばいいのです。そしてその躊躇する心に寄り添い、ちょっとだけ後押ししすればいいのです、「よーし遊ぼう!」って。

 次に、それでもすぐに馬を動かしません。「自分で動かしなさい」と言って、考えさせます。言葉・身体、気力を絞り出すようにちょっと寄り添います。乗ったらこっちのもんです、そこから我々の「教えない乗馬」が始まっていきます……。「教えない乗馬」続編また書きましょう。

 ・・・教えてもらうのが当然と思う今の世、懇切丁年に教えてあげるのが当然の今の世、1000鞍乗ってもまだ自由に馬を走らせられないと悩んでいる人もいれば,10鞍で馬を自由に走らせ(おぼつかないですが)楽しんでいる人もいる。今はどこまで教えないかが大切なのだと実感する。

 20年も昔に馬に乗ってる僕のことを見て、乗りたさそうな顔をして僕を見つめたあの子らの目、そして始まった教えない乗馬「乗ってればいいさ」「走ってればいいさ」。今年も始まった僕の馬暮らしは30年目を迎えました、小さな空き地で始まった馬広場の活動も23年目を迎えました。紆余曲折、波乱万丈の馬暮らしですが、与那国馬がいたから元気に生きてこれた人生です。「馬に添えば馬九(うまく)いく」これが今年の我々のモットーです!

 
                          久野マサテル


*このブログは馬新聞NO84、平成25年1月の新春号に記載したものに大幅に加筆したものです。