読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





掘り出しもの その2 「ナショナルジオグラフィック・日本版」

久野マサテル

f:id:hisanomarkun:20140509175358j:plainf:id:hisanomarkun:20140509175407j:plainf:id:hisanomarkun:20140509175415j:plain

列島探訪

 12回 日本の音風景 沖縄県与那国島

断崖の島に聞く 若夏の馬の声

沖縄本島から500キロ。日本の最西に位置する与那国島には、琉球王朝時代からの在来馬が生息している。春を飛び越え、初夏の訪れとともに、断崖に打ち寄せる優しい波音の合間に、馬の息づかいや走る音、そして幸せそうな馬の声が聞こえてくる。

文=久野雅照「ヨナグニウマふれあい広場」主催者

写真=芥川善行、大塚勝久

 

い海、青い空、白い雲------沖縄は常夏の島というイメージが強い。しかし冬の沖縄、なかでも与那国島の冬は、鉛色の空に、藍を溶かし込んだような暗い海が広がる。

 僕が住む与那国島は、黒潮の中にぽつんと浮かぶ、離島の中の離島だ。面積は30平方キロほど。日本の最西端に位置し、東京から2300キロも離れ、100キロ西は台湾である。隆起サンゴ礁でできたこの島の周囲は大部分が断崖で、一年を通じて強い風と波に洗われている。砂浜が少なく、沖縄の他の島と違って厳しい風景だ。

 海はうねり、白波が立つ。高さ20メートルはある断崖に黒潮の波が打ち付け、ドスーン、ドスーンと地響きがする。波は簡単に断崖を乗り越えて草原を走り、ザァーという激しい音とともに、細長い葉をもつアダン林の中に吸い込まれていく。

 人も経っていられないほどの潮吹雪。そんな中、与那国馬たちはアダン林の陰にじっと身を寄せている。そんな健気な馬たちが好きで、冬の悪天候時も海辺の牧場に出かける。

 日本の在来馬はわずか8種しかいないが、最先端かつ最南端に生息する体高約115センチの小柄な馬が与那国馬だ。人頭税の時代に税を徴収する琉球王朝の役人が移動用に持ち込んだこの馬は、豊かなコウライシバのおかげで増え続け、やがて農家の人々も馬が持てるようになった。馬たちは米や薪を運び、農民たちの足として活躍した。

 ところが、島に自動車や農業機械が入ってくると、馬は徐々に機会にとって代わられ、25年前には50頭を切るまでになった。その頃神奈川県に住んでいた僕は、「与那国馬絶滅の危機」という小さな新聞記事を読み、馬を救いたい一心で島に飛んできた。働く場がなくなった馬たちにもう一度活躍の場を与え、人と馬が寄り添う暮らしを提案したいと考えたのだ。

 その後、島の人々は種馬を交換し、近親交配を避けて出生率を上げ、僕は子供や観光客を乗せるなど馬の活用法を提案した。こうして与那国馬は現在150頭までに回復した。 1頭の馬から始まった僕の馬暮らしも、今では18頭の馬と10匹のヤギ、6羽のバリケン(南米産のカモの一種)を抱える牧場暮らしへと発展した。

   草原に鼻を鳴らす

 僕が足繁く通うのは、与那国空港の西隣にある北牧場だ。ここは現在80頭の与那国馬がいて草を食んでいる。その姿を見て、野生馬ですかと聞く人が多いが、実際は家畜馬だ。とはいえ、亜熱帯の与那国島に緑が絶えることはなく、餌を上げる必要はない。しかも自然交配、自然分娩なので半野生と言えるかもしれない。

  アダン林の陰に身を隠す馬にそっと近づくと、バリッ、ボリッ、ボリボリボリと音が聞こえてくる。馬たちはアダンの葉を食べているのだ。幅5~6センチ、長さ50センチほどの刀状のアダンの葉には、長さ5ミリほどの棘がびっしりと並んでいる。その葉を馬たちは柔らかい唇を使って何と器用に口に運ぶことか。この葉が、草の少ない冬や台風で草原に出れない時の彼らの非常食なのだ。

  短い冬が過ぎ、やがて春になると、与那国島にも青い空と海が戻ってくる。春というより、いきなり初夏のような陽気だ。沖縄ではこんな季節を若夏という。

 断崖に打ち寄せる波は、うららかにサラサラと唄い、北へ渡る鳥たちの声がやかましくなる。仔馬もいつしか数が増え、コロンコロンと足音を響かせる。

 身も心も溶けるような陽光の中で仔馬たちは昼寝を楽しみ、微動だにしない。かたわらで優しく見守る母馬は、耳と口元だけはせわしく動かし、時折むせるような青草の芳香に鼻をブルッブルッと鳴らす。僕もそばにゴロッと寝ころび、目をつむって両手を耳の後に当て、馬のように聞き耳を立ててみる。すると馬のつぶやきが聞こえるのだ。昔と同じように、また人間と一緒に暮らしたい、と。

  僕の牧場の馬たちは、毎日丁寧にブラシをかけられて、声をかけられて、実に幸せそうだ。薪や米を運ぶ仕事は終わっても、まだ人と一緒に添っていた。彼らのつぶやきが、そう聞こえてならない。

 

*以上の記事、もう11年前のことですね、依頼がきた時にはびっくりしましたが、与那国馬を知ってもらうためにと必死で書きましたね。科学雑誌なので一つ一つの言葉や植物の名前などかなり慎重に使いました。以来まだ僕は与那国馬と暮らし続けています。益々与那国馬の働きが広がっています。これもこの馬たちの資質の高さからでしょう。与那国馬の保存状況は決して楽観できるものではりませんが、与那国馬を愛する人の輪を広げ、連帯し次世代に繋ぎたいと思っています。この記事を活字におこしブログに載せることが違法かどうかも知りませんが、その時はお許しください。

2014510