日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





「ふがらっさー馬新聞」 NO,89より

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何といっても夏はこれ、海馬遊び!

与那国から始まった海馬遊び、でも石垣島でも久米島でも伊江島でも本島でも、そして淡路島でも久里浜でも千葉でも・・・。でもでも沖縄の海でやるのは格別です!

ヨナグニふれあい広場は創立以来季刊誌「ふがらっさー馬新聞」を年4回発行し続けている。ちょっと前が89号、ふむふむ続いてるぞ、来号はついに90号だ。

その89号から親方の記事を載せます。

 

@与那国島2015春

4月19日の夜はたき火を囲んでの夕食会。終わるころから降り出した雨、夜半からは雷雨。時折雷が近くに落ちたような光と地響き、プレハブの屋根をたたく激しい雨音、夜明けまで続いた。1時間の雨量も記録的だったとか。壮絶な夜だった。

小雨の早朝急いで馬たちの所へ、何とミト池横の牧場は浸水し、残された陸地に3頭の馬が立っている。もう1頭が見えず心配したが、水で隔てられた小高い森の中に発見、スタッフが腰まで浸かってたどり着き、無事に救出。4頭は仲良く朝食にありついた。他二箇所の牧場の馬たちも異常なし、スタッフ皆で牧場を点検、農道の側溝から鉄砲のように噴出した水が、種まきし芽吹いたばかりの牧草地を直撃、ずたずたになっていた、と、やれやれな豪雷雨の話。

そしてその後、寮の庭先でのスタッフミーティングの最中である、ゆさゆさと地面が横に激しく揺れた、地震だ! 直後スマホからの津波警報と、防災無線からのくり返し、くり返しの警報、「海には近づかないようにと」いう、震度4、TVもネットも与那国の地震を伝えた。ミーティングは急きょ話題を変え、お客様との乗馬中の避難方法を熱く話し合った。ので、この日は石垣経由で那覇へ向かう飛行機の出発時間ぎりぎりまに滑り込んだ。

地震・雷・火事・親父・・・残る火事に注意のあわただしい2日間だったという話。

 

@うみかぜホースファーム 2015春

現在住込みボランティアが2名、一人は台湾から、一人は滋賀県から。朝7時に集合し決まってラジオ体操をやって、決まって犬連れの散歩をして、朝食となる。慣れない土地での生活は規則が心身の調子を整える。

台湾からのボランティアはWWOOF(ウーフ)という世界的ボランティア組織の仲介でやって来た。これまでも数々の方(ウーファー)がやって来た、もちろん日本人もいるが海外からの方が多い、労力を提供し住むところと食を提供し、金銭を介在しないことを基本とする。日本語の生活を体験し、日本を学ぶためだ、もちろん僕らも彼らから多くのことを学ぶ。日本語のレベルはまちまちだ。この台湾の方は読み書きは上手だがしゃべりが苦手だ、漢字文化圏の特徴らしい。そこで犬を曳かせて「止まれ」「進め」「右・左」と動物介在・日本語発声となりました。そんな日々の中、ボランティアは台湾の言葉で何ですか?との質問に何じゃらカンジャラと、よく聞き取れない僕、紙に書いてもらった、・・・「自願者」・・・。そのとおりだなー!

与那国島の馬広場」&「うみかぜホースファーム」スタッフ、研修生、ボランティア、「自願者」求めています! 特に与那国島

 

@本

宮崎駿さんと養老孟司さんの対談の本「虫眼とアニ眼(新潮社)」を「久米島馬牧場」の親方から頂いた。空けて数ページで感動し閉じた。駿氏曰く、私のアニメのDVDの箱には「これは一年に一回見てくださいと書こうかな」と。そして養老氏曰く「となりのトトロ」で妹がトトロを発見してジーッと見つめている正面の絵を大学の研修室に貼っていた、こういう目つきをした学生がいなくなっちゃったんですと。

納得納得! アニメを100回見る時間があったら、外に出てアニメ以上の感動を見つけよう。世界は地球は感動に満ち溢れている。感動は身体である身体とは五感(目・耳・鼻・口・皮膚)である。もっと身体的生活をしようと。

30歳まで僕も都市にいて身体がなく脳的生活者だった、そんな自分が物足りなくて与那国島にやって来た。自然の中で動物たちと人たちと暮らし、今の自分が作られた。だから馬広場は身体から生まれた。

 

平成27年4月27日

親方こと 久野マサテル