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日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





南の島の馬暮らし2 馬との生活

久野マサテル

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雨上がりの朝、いつものように草刈。馬たちの喜ぶ顔を思い浮かべながら、丁寧に刈り取る。犬の手も借りたいのだが、いつものようにじっと見ているだけ。犬、それだけでいい。ああ僕もいつかそう言われるような人になりたい。

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学生は春休み、人さらいの僕は乗馬クラブのOBを呼んで、新しい馬小屋のペンキ塗り。もうすぐ完成。与那国から馬を呼ぶとしよう。

さて今日から4月、「馬楽のすすめ」もリニューアル。与那国、久米島、石垣、うみかぜのスタッフにリレーしていくことになった。一番バッターは親方マークンです。今回は昨年沖縄タイムスの「唐獅子」と言うコーナーに14回シリーズ寄せたエッセイの2号をお送りします。

 

「馬との生活」

 念願の馬が我が家にやってきたのは、馬暮らしが始まって3年目。その頃すでに、縁あって借りられた耕作放棄地で、鶏、ヤギ、水牛などを飼っていた。

 やって来た馬は、生後半年ぐらいの仔馬だった。モコモコの毛で真ん丸な眼、僕はその眼にコロリといった。山から木を伐り、自作の馬小屋も作った。しかし、である。馬はなかなか小屋に入ってくれない。それもそのはず、それまで広大な牧場で母馬と合いあふれる自由な時間を過ごしていたのだ。また馬はすぐに乗れるものと思い飛び乗ったが、「何するんだよ」と、いとも簡単に振り落とされた。思いだけが先走った馬飼い一年生だった。

 当時島には馬に乗って生活している人が3人いた。共に老人。一人は木の鞍に乗り、頭にはクバ傘、足は裸足。移動はすべて馬だった。彼らの若い頃、馬は薪や芋や米を運ぶ、いわば軽トラックのようなものだったのだ。

 僕は裸足の老人に馬のことを聞きにいった。老人は朴訥で親切で、あれこれと教えてくれた、しかし馬の調教の話には愕然とした。「馬は叩け!」「涙が出るまで叩け!」そしたら馬はおとなしくなる、というのだ。僕は老人のもとを去った。

 以来30年、僕に馬の師はいない。ひたすら乗って落とされ、逃げられ、擦り傷だらけの失敗を重ねながら、どうにか少しだけ馬と語ることができるようになってきた。

 与那国馬の特徴は小柄だけど力持ち、性格は温厚、粗食に耐える等々と言われている。が、30年も付き合っていると異論も出てくる。温厚だから、粗食だから、といって、手入れもなしにつなぎっぱなしで飼っていいものではない。

 本島や石垣島にいる与那国馬を訪ねてみても、幸せそうな馬はなかなかいない。毛艶が悪く蹄も伸び放題。人を信頼できず、暴れる馬たち。何より悲しいのは、狭い小屋に閉じ込められ、うつろな目をした馬である。

 馬が沖縄にやってきて約700年、人は馬に支えられ生活をしてきた。そこに人と馬の共生の深い歴史がある。車の発達で馬はいらない時代にあったとはいえ、馬に助けられた恩を忘れてはいけない。

 

                           久野マサテル

 

*「沖縄タイムス」掲載 2015年7月15日