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日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





馬が人を呼ぶ

久野マサテル

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 6日の日の朝うみかぜホースファームは濃い霧がかかっていた。この地域は霧で有名だ、それが嫌で引越しをする人もいるくらいだ。でもこんな幻想的な馬の姿を見せてくれる。ここは海抜150メートル、下界から見ると雲、中にいると霧。もう何年かで僕は霧から脱出、雲の上で遊ぶとしよう。仙人のように。

 そして出かけた下界の幼稚園、そこにはシロツメグサがいっぱい!馬たちは大喜び、しかしこの草の上での乗馬会はとてもじゃないけどできません。例えナチュラルホースマンシップで集中させても、持ちませんね・・・。 

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 前置きは長くなってしまいましたが、新馬楽のすすめは一巡し再び僕の番、長老ですから昔話をさせてください。沖縄タイムス、唐獅子に寄稿文、第3.

「馬が人を呼ぶ」

 馬と言うのは不思議な生き物だ。馬がそこにいるだけで、人がぽつぽつと寄ってくる、一人でこっそり馬と遊んでいたら、島の馬好きから一緒に遊ぼうと声がかかり、数人が集まって「与那国馬愛馬会」が発足した。皆で浜に馬を持ち寄って、若馬の調教をし、浜競馬をし、夜は夜で馬談義だ。これで与那国馬の未来も明るいかと思ったが、会は1年ほど続いたが、いつしか消滅した。

 仲間はいなくなったが、僕は来る日も来る日も1頭の牡馬と向かい合いあった。その馬との付き合いに慣れたころ、愛馬会のメンバーだった一人がトラックに馬を載せ、我が家の前にやって来た。「久野馬は要るか(もらう)?」。訳ありな牝馬で、いい年になったものの仔を産まないというのだ。訳ありでもいい、念願の2頭目だと喜んで貰い受けた。それから1年後か又別の方から「久野馬は要るか(買う)?」と話が来た。見に行くとガリガリさんとオチビさんの2頭の牝馬が、牧場の片隅で寂しそうにしていた。もちろん喜んで買った。

 1頭の馬飼いが4頭の馬持ちになってしまった。それもすべて訳ありの、島の人にとっては「不要」な牝馬だ。しかしそれから4年後不妊馬は晴れて仔を持ち、ガリガリさんとオチビさんも仔を持ち始めた。ヨナグニウふれあい広場の基礎を作った馬たちだ。

 馬が人を呼ぶ話でしたね、30年前の当時、僕が馬に乗って歩いていると、地元の人っからは「なんだこいつ」と変な目で見られ、観光で訪れた人からは「おっ馬だ」と言う感じだった。島にはいつもキャンパーが数人、浜にテントを張って暮らしていた(今は皆無)。彼らは馬を珍しそうに眺め、乗りたいと言うので、一緒に乗って遊んだ。そのお礼にと彼らは草刈りや牧場開拓を手伝ってくれた。又僕はそのお礼にと、暖かなシャワーと夕食と泡盛をご馳走した。その後そんな彼らの口コミで、我が家には大勢の若者たちが途切れることなくやって来るようになった。僕は彼らを「助っ人」と呼んだ。以来ずっと馬広場は彼らの力のお蔭でここまでやって来れた。ボランティアやNPOなるおしゃれな言葉の無い時代であった。

 ふがっらさー助っ人さんたち!

                           2015年11月14日

                            久野マサテル