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日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





馬に恋する若者が与那国島を目指すべき10の理由 ③

河田桟

 

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理由その2 人と馬が出会う原点がある

 

私がはじめて与那国島の「広場」にやってきた時に、いちばん驚いたのは馬が森に暮らしている、ということでした。

 

「馬はどこで眠っているんですか?」
「森のどこかです」
「ええ !?」

 

もちろん、「広場」にも人が作ったスペースはあって、そこで人が馬の世話をしたり、馬と遊んだり、乗ったりしています。でもふだん馬たちは、原生林を囲った広大な放牧地で思い思いに過ごしているのですね。いつだか、ボランティアとして朝飼いに参加している時、森からちっこい生き物がひょこひょこ出てきて、なんだろうと思ったら、夜中に森で生まれた仔馬だとわかり、びっくりしたことがあります。なんておおらかで、エネルギーに満ちていて、豊かなんだろう、と、心がゆさぶられました。

 

私はどうも馬の「野生」にひかれるタチのようなんですね。とはいえ、それまで都会で暮らしてきた人間が、突然、野生の馬と関わる、というのは、実際のところ相当にむずかしいです。(相手の野生馬も迷惑です、きっと)

 

ですから、「広場」という場所があって、私のように島の外から来た人間が、馬という野生にふれてゆくための扉になってくれたのは、本当にありがたいことだなあと感謝しています。

 

ここでちょっと、人と馬が共に暮らしていくってどういうことだろう、と考える時に私がイメージする図をお見せしましょう。

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[馬と人が出会う位置]

 

左側が「馬の世界」、右側が「人の世界」です。人と馬は、おたがい近づいていって、どこかのポイントで出会います。それがどこか、というのは人それぞれ。人間同士でもそうですが、100%正しい関係なんていうものはないでしょう。馬も人も、順応性が高い生き物ですから、おたがいに、さまざまな矛盾を内包しながら、それぞれの環境でくふうしながら、自分たちなりの関係を築いていきます。同じ人でも時が経つにつれてポイントが変わっていくこともあるでしょうしね。

 

私はそれがどういうバランスであれ、「馬がいきいきとした表情で暮らしているか」ということが、関係のすこやかさを表す目安になるんじゃないかなあと思っています。(人もね)

 

さて、与那国の「広場」という場所を、先ほどの図で表すと、こんな感じかな、というのが私の見立てです。

 

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[ヨナグニウマふれあい広場]

 

そもそも、沖縄という土地は、人と自然が近いです。加えて在来馬である与那国馬は、ずっとこの島で生きてきたわけですから、同じ自然を人と馬が生きている、と言ったほうがいいのかもしれません。

 

「広場」には、初めて人と関わった野生出身の馬がいます。そして彼らが親となり「広場」で生まれた、人といることが自然になった馬がいます。その感触の違い、たいへん興味深いです。「広場」では、人と馬が出会う時になにが起きるか、その感触を、自分の目で見、耳で聞き、体で感じながら学んでいくことができるのですね。

 

まさに、人と馬が出会う原点がここにある、と思います。その原点に立って、自分自身の「馬と出会うポイント」を探していける場所。それが「広場」なんじゃないかなあ、と感じています。