馬に恋する若者が与那国島を目指すべき10の理由 ⑩
長々と続けてきたこの連載、ついに10回目となりました。1回目をまえがきで費やしてしまったので、最終回はまとめて2つの理由を書きたいと思います。
理由その9 多様性を受け入れる文化がある
ここまでお読みになった方には、「広場」が、馬に関して様々な考え方や経験を持った人々が行き来する不思議な場所であることがおわかりいただけたと思います。
私がすばらしいなあと思うのは、多様な価値観が否定されることなく、同時に存在できる文化があるところです。私が知っている限りでも、親方はじめ歴代のスタッフは、みな馬に対するアプローチがちがいます。それぞれの個性や馬との関わり方を、おたがい尊重しあっているのだと思います。
なんといっても、このへそまがりの私(とカディ)が参加させてもらえているのですから、どれだけ寛容な文化かわかるというものでしょう。私とカディの関係は、経験者からすれば、はらはらするところも多分にあると思うのです。それでも「そう思うなら、やってみたら」というスタンスで見守ってくれる。むしろおもしろがってもらえるようなところもある。で、助言を求めたら、その時には惜しむことなく与えてくれる。お互いの意見をフランクにシェアできる。そういう開かれた場って、なかなかないと思います。
理由その10 ジレンマや違和感と向き合える
10番目は、さまざまなジレンマや違和感と向き合える、ということです。最後を飾るには少々ネガティブな理由に聞こえるかもしれませんけれど…。
たとえば、与那国で暮らしていると、野生に生きる馬と、人間と暮らす馬を前にして、「馬にとって本当はどちらが幸せなんだろう」と考え込んでしまう瞬間が一度は訪れると思います。これって、乗馬とか調教よりずっと手前にある、馬と人間が関わることについての「そもそも」の問いです。正解を答えることができない問いです。
でも、馬は目の前で生きています。だから、「こうしよう」という自分なりの答えを出して、今日という日を過ごしていくほかありません。(たぶん明日はすこし違う答えになるでしょう)
これは一例にすぎません。与那国は、離島であるおかげで、スピードや効率やマーケティング中心の社会から、ちょっと守られている部分があります。また、国境の島でもありますから、世界を感じやすい位置にあります。危機感もあります。日々の暮らしはシンプルなのですが、なにかと考えさせられることが多いのです。
これからの未来は、きっと「多様性」がキーワードになっていくでしょう。ジレンマや違和感って、重くてやっかいなものではあるけれど、未来を育んでいくための大切な種なんじゃないかと思います。ジレンマや違和感を「ないこと」にせず、きちんと向きあったら、人と馬の未来もやさしさにあふれたものになるのじゃないかなあ、そうだといいなあ、と私は思っています。
この連載は、これでおしまいです。長い間、おつきあいいただきありがとうございました。
馬たちも多様性に満ちている!