日本最西端の与那国島で一人と一頭から始まった南の島の馬暮らし。
そこに集まった馬好きな若者たちが沖縄中に散らばり、
それぞれの馬暮らしを始めています。





こどもとウマの可能性

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なんと、2週も3週も続けて土曜日が来たのを忘れるという失態・・・曜日の感覚が危うくなっている、うみかぜホースファームのヒメです。今回はかろうじて覚えていましたので、日付が変わる前になんとか投稿できるかな~?

 

 ええと、全開、いや、前回はマークンが還暦の時に作った広場の成り立ちを書いた絵本を載せる、と言いましたが、すでに載っていたのをすっかり忘れていました。やっぱりボケボケです(汗) 興味のある方は、2014年2月~3月のブログをご参照ください。

 

 さて、本題です。

 今日はJRA主催の子供たちのための競馬イベント「ジョッキーベイビーズ」の第一回目の沖縄選考会の日でした。以前から、伝説のジョッキー、岡部幸雄元騎手には在来馬の発展のために尽力していただいていましたが、今回もまた、岡部さんのおかげで沖縄での選考会が実現しました(特別枠を作っていただいたんです!)。

 

 実はこの選考会に出るかどうか、けっこう悩みました。そもそも、うちの馬クラブは馬や動物と遊びながら学び、ともに成長するという主旨のクラブです。予選の審査項目である部班もジムカーナも遊びでやるぐらいで、真剣にやったことはありません。ましてや、本番で要求される襲歩で走るなんて絶対ムリ! なレベルです。

 

 でも子供たちに投げかけてみたところ、「やってみたい!」と嬉しい返事をもらいました。どこまでできるかわからないけれど、ともかく参加してみよう! ということで、限られた時間のなか、子供たちも放課後に遠いところから練習に来てくれたり、親御さん共々、選考会に向けて本当に頑張りました。

 

 結果は予想通り、惨敗。それでも子供たちは次に向けて頑張りたいと言ってくれました。いつもは良く言えばのびのび、悪く言えばダラダラ、馬と接している子供たちですが、さすがに選考会の緊張感と、同年代の子供たちがカッコよく馬に乗っている姿を見て刺激を受けたようです。こんなこと言っては怒られてしまいますが、ヨソの馬に乗り、馬に乗っている同年代の子供たちを見る、という機会をいただいただけで目的の9割は果たした、というのが正直なところです。

 

 競馬場もなく、競馬とはあまり縁のない沖縄ですが、馬と遊ぶ選択肢が一つ増えるというのは、子供たちにとって大きな恵みだと思っています。

 

 馬が好き、馬をただ見ているだけ、さわっているだけが好き、馬のお世話が好き、馬に乗って競技するのが好き、馬に乗って外乗に出かけるのが好き、海での馬遊びが好き、浜を思いっきり馬で駆けるのが好き・・・そうした馬に関わる選択肢のなかに、「競馬」があってもいいんじゃないか。将来「ジョッキー」になりたい!という夢が子供たちの中に芽生えるのは、素晴らしいことじゃないか。そこにヨナグニウマが関われたら、もっといいよね。

 

 なーんてことを話しながら、沖縄の馬に関わるオジサンとオバサンたちは、ああでもないこうでもないと泡盛を酌み交わし、夜が更けていったのでした・・・ああ、やっぱり日付が変わっちゃった(*_*)

 

たくさんいるはず

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こんにちは!北海道在住のケイコと申します。
この度お声かけいただき、僭越ながらゲスト枠でお邪魔させていただくことになりました。


馬飼いでもなく。馬乗りと言えるほど馬にも乗れず。「こんな私が書かせていただいていいのかしら」とも考えたのですが。「きっと私みたいな感じで、広場やヨナグニウマに関わっている人って、たくさんいるはずねー」と思い直し、書かせていただくことにしました。あまり難しく考えず、思ったことを、そのままに。


思い起こせば13年前。あの頃は、仕事に明け暮れる毎日でした。それでも転勤後、冬にまとまった休みが取れるようになり。「よーし、日本の一番西にでも行ってみるか!」と思い立ち、与那国の地を踏んだのでありました。3泊4日のぶらぶら観光旅行。そして、そこでたまたま出会ったのが、親方マークンとヨナグニウマだったのです(そして、広場のおいしいご飯たち)。


それまで馬産地北海道に住んでいながら、「馬に乗るなんてとてもとてもアナタそんな、忙しくって無理無理無理。」というような生活を送っていたのですが、広場のおいしいご飯に…もとい、マークン始め広場の皆さん、そして馬達の魅力にすっかりやられてしまった私は、それからほぼ毎年、無理をしてでも与那国に通うようになってしまったのであります。そして与那国滞在中に自分のチューニングをし、また日常生活に戻る…という繰り返しの13年間でした。


…ねっ!?こういう人、たくさんいるでしょ!?このブログを読んでいる人の中にも、いるでしょ!?


というわけで、親方マークンとヨナグニウマとの出会いをきっかけに、この13年間、私の中で馬の世界はどんどん広がっていったのです。そして、多くの素晴らしいものと出会い、多くの宝物をいただきました。
広場で出会った皆さんから。
在来馬繋がりでお世話になった、道産子や流鏑馬に関わる方々から。
モンゴルに関わる方々から。
今お世話になっている乗馬クラブ、そしてそこに繋がる方々から。
北海道開拓には欠かせなかった、輓馬に関わる方々や、馬搬で活躍されている方から。
本当にたくさんのものをいただいたのです。


それら一つ一つをあげていくときりがなく、読んでいる皆さんがいやんなっちゃうくらいたくさんあるのですが、いくつかをシンプルにお伝えさせていただくと…

馬を通じて知り合った、信頼できる、大好きな人たち。
自分をチューニングできる場所。
枠にとらわれない料理への愛。(笑)

そして何より、乗馬や馬術のみならず、広く「生活と馬」「馬と文化」という視点でアンテナを張れるようになったのも、ヨナグニウマが自分の中心にあるからだと思います。また、考え方やスタイルの違いを、「良い悪い」という視点だけではなく、「それぞれの良さ」として認められるスタンスを持てるようになりました(昔の私はそうじゃなかった…)。それらの視点は、更に私の世界を広げ、日々の生活を楽しく、豊かにしてくれています。そして、そこから得たものを、日々の仕事や周りの人々に還元していけたら…と思うのです。


冒頭で述べたとおり、今は馬飼いではなく。そして馬乗りと言えるほど馬にも乗れない私ですが。
「わしは馬飼いで、馬乗りじゃ。」
と、堂々と言えるようなおばあちゃんになりたいです。そのために、少しずつ知識と経験を積み重ねていきたいと考えています。馬と暮らすための準備も少しずつ…ね。
馬飼いの皆さん。馬乗りの皆さん。馬文化を支えている皆さん。これからも私に、たくさんのことを教えてください!よろしくお願いいたします。
そしてヨナグニウマに関わる人々が、どんどん繋がり、より豊かな世界が広がっていきますように。心から応援します!


あたしねえ、与那国に行って、良かったわあ。
みなさんに出会えて、良かったわあ。
ヨナグニウマ、大好き!
ヨナグニウマと出会えたおかげで、私の人生は、とっても豊かになりました。


…って思っている人、たくさんいるでしょ?

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コドモとウマ その4

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ちょっとお久しぶりな感じ、
久米島馬牧場からサノちゃんです。

先週に続いてンマハラシーのお話です。
まだ興奮覚めやらず(笑)。

無事に島に戻り、半年間の活動を一旦終えた、我らが馬クラブ1期生。
夏の間はお休みして秋からまた再開する予定ですが…。

ンマハラシーを経てより一層馬との絆が深まった二人、「馬クラブが終わっても夕飼いをしに行ってもいい…?」と。
ああ、なんて嬉しい言葉!!
「馬に会いたい、一緒にいたい」という純粋な気持ちに涙が出そうでした。

馬クラブを通して改めて感じたこと。

大切なのは子供の気持ち。
ひとりひとりの個性。
安全な馬を育て。
子供と馬を見守ること。

緊張と感動の連続だった馬クラブ。
素晴らしい経験をさせてくれて、ありがとう!!

写真の背中からドキドキが伝わってきます(笑)
(写真は伊江島ビーチサイドホースパークの真紀子さんからいただきました!)

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バックパッカーと馬3 モロッコ・マラケシュ

今回は「観る」馬を。

色々と馬のエンターテイメントはあると思いますが、民族色の濃いショーとして有名なモロッコのファンタジアのことを伝えたいと思います。

 

まず、モロッコという国の位置ですが、前回までのエジプトからサハラ砂漠を西へ行くとリビアチュニジアアルジェリア、という国々が地中海の南側に並び、そしてモロッコにたどり着きます。ジブラルタル海峡を挟んでスペインのすぐ南に位置する、アフリカの北西端、やはりイスラーム世界の一部です。

馬に関わる歴史としては、北アフリカサラブレッドやリピッツァナーの源流となると言われる、バルブ種という馬の原産地と言われます。

ローマ・カルタゴの時代からイスラーム勢力の盛衰に至るまで、戦争・交易・遊牧民の移動などで馬の活躍もめざましかった地域が北アフリカなのです。

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アフリカ・イスラーム・地中海、砂漠・海・山、様々な要素が絡み合い、織り交ぜられたこの「モロッコ」は旅行者の間でも人気の国。僕もだいぶ昔に短期間でしたが訪れました。まだ20歳だったと思います。お金もあまりなく、何にお金と時間を使うか悩んだ挙句に決めたのが、北アフリカ最高峰のトゥブカル山への登山と、古都マラケシュにて「ファンタジア」を観る事、でした。

 

ファンタジアは一言で言えばモロッコ伝統の騎馬戦術を再現した騎馬ショー。もともとは騎馬戦の訓練であったり、農民たちの祭りであったと言われますが、現在、旅行者が簡単に観ることの出来るのは、マラケシュで毎晩行われているエンターテイメントショー。

迷宮のような小路とバザール、様々な屋台や蛇使いなどの大道芸人でごったがえす死者の広場と呼ばれる大広場、タイムスリップしたような旧市街が訪れる人を魅了するマラケシュの中心から郊外へ。アラビアンナイトに出てきそうな宮殿の広大な中庭が会場となり、観客は中庭を望む席につき、モロッコ料理(有名なのはクスクスかな)の夕食から始まり、中東ならではの妖艶なベリーダンス、そして騎馬の曲乗りなどを堪能します。

宴も終盤となると伝統的な騎士の衣装に扮した騎馬隊が登場。横一列に隊形を組んだ騎馬隊が中庭を端から端へと一気に駆け抜け、端っこにたどり着いたところで急停止、騎士たちが銃を夜空へ向かって一斉に撃ち放す!!

モロッコの夜に、この幻想的な一幕が馬たちの勇ましい足音の中に繰り広げられるのがファンタジアの醍醐味でしょう。

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モロッコへ旅する際は、是非このファンタジアをお忘れなく。

ツアー旅行のオプションなどにもなるほど、知名度も上がり、ますますショー化している、またはショーとしての完成度が低い、など色々な意見も見られます。

一つ、観る人側がこの点を克服する方法があるとすれば、モロッコを旅して、モロッコの人々と触れ合って、そこが東京ディズニーランドではないことを確認して、自分がモロッコ人に最大限近づいた時点で、行ってみるといいんじゃないでしょうか。

その名のとおり、モロッコの幻想を味わうには、先進国から来た観光客としての自分を捨ててしまうこと、馬と騎士の世界に自分も入っていくことです!!

ご褒美

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あっという間の日曜日。先週は琉球の伝統競馬ンマハラシー出場のため、久米島から馬たちと本島へ出張で出ていたためお休みしてしまいました。
本島で記事をアップする予定が、本島出張の一番の楽しみの大親方マークンとの早朝会合に夢中で忘れてしまいました。

そして、おっと気づいたら次の日曜日が過ぎそうでした…。

久米島から久米島馬牧場の井上福太郎です。

琉球競馬ンマハラシーとは、かつて琉球王朝時代に開催されていた世界的にも珍しい走りの美しさを競う大会で、側対歩という独特な走り方の馬同士が走りの優雅さや美しさを競います。現在交付金を使って年3回沖縄こどもの国で開催されるイベントとなっていますが、文化的に独特な地域性を活かした地方ならではの非常に可能性の高い取り組みだと思っています。


先日のンマハラシーでは、久米島からは念願の子供たちを乗せて出場することが出来ました。今年から始めた馬倶楽部、ここは乗馬倶楽部では無いところが味噌で、馬に乗ることや乗馬の技術の習得だけが目的では無いので馬倶楽部なのです。

馬から沢山のことを学ぶ馬倶楽部。これも馬広場が持つ地域に密着した展開の一つです。

久米島の1期生はたった2人の部員ですが、馬が大好きな個性的な2人。人の力と馬の力で2人とも見事1勝をもぎ取りました。

久米島に戻って慌ただしく過ごす中で、彼らに馬倶楽部最後のご褒美にと馬牧場から海馬遊びをプレゼントしました。

そしたら最後には思いもしなかった僕たちにサプライズのご褒美が。

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メッセージ付きの手作りメダルです。これが、僕たちにとっては何よりのご褒美。
馬と共に働く最高のご褒美です。

同じタイミングで、先日馬と共に行った小学校での職業人講話の時の子供たちの感想集も頂きました。
何とも嬉しい子供たちの心の数々。

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そして僕たちは今日も馬に感謝して一番美味しい草を気持ちを込めて腹一杯刈るのです。

それが、僕たちが馬に届けられる一番の感謝のご褒美と思っています。

馬に恋する若者が与那国島を目指すべき10の理由 ⑦

 

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理由その6 お金をかけずに馬と暮らせる

 

都会から来た旅の人に、馬と暮らしているんです、というと、「わあ、すごい、オーナーさんですね」などと言われることがあります。一瞬「?」と首をかしげますが、ああそうか、と認識の違いを思い出します。

 

現代の日本で馬を飼う、というのは、「お金がかかる特別なこと」という認識が一般的かもしれません。馬そのものも高価なのでしょうし、設備、飼養管理、運動、調教、治療などのあれやこれや。大型動物を飼うというのは、そう誰もが気安くできるものではありません。

 

でも、与那国島では、馬を養う(島の人はこういう言い方をします)のに、お金がかかると思っている人は、あんまりいないんじゃないかと思います。なにしろ島の馬は、ほとんどが野天で生きているし、食べ物はそこら中に生えている草だからです。

 

私が相棒となるカディに初めて会った日、前の持ち主だった島の人は、「このまま連れてけばいいさ」といって、カディをつないでいた縄と杭をくれました。カディは縄で編んだお手製の無口をつけていました。

 

予想外の展開に、私は呆然としながら、なんの準備もしていない家にカディを連れて帰りました。そして、とりあえず家の前の草地にカディをつなぎました。

 

島の金物屋さんで、草を刈る鎌と杭を打ち込むためのちいさなハンマー、そして牛用の鉄ブラシを買いました。ぜんぶで五千円もしなかったと思います。「島で馬暮らしを始めるための出費」はそれだけでした。その日から毎日、島のあちこちで草を刈って相棒のごはんにしました。

 

その後、私個人の想いとして、やっぱり馬は放牧で暮らしているほうがいいなあと思ったので、自分で原生林を拓いて放牧地を作りました。ですから、「最低限の出費」だけではすみませんでしたが、それでも、たぶんみなさんが想像するより、ずっとずっとお金はかかっていないと思います。土地は島の人がただで貸してくださったし。

 

そのかわり、馬とはどういう生きものか、どのような環境で生きているのか、そして、風や雨や太陽や台風など、あらゆる自然が馬にどんな影響を与えるか、そのことを深く学ばねばなりませんでした。相棒と暮らしていくうえで、それはどうしても必要でした。その知恵は、馬仲間、島の人、そしてなにより馬自身が、ひとつひとつ教えてくれたものです。

 

おもしろいなあ、と思うのは、野生の馬(に限らず生きものは)はお金と関係なく暮らしているのですね。寝床も食物も天が与えてくれますからね。豊かさってなんだろう・・・与那国で暮らしていると、そんなことをつい考えてしまうのでした。

 

初めてカディを放牧地に放した時の喜びの舞(音が出ます)

 

馬と遊ぶ子ら

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 梅雨の合間の早朝、こんなにすごい虹がかかった。一枚では収まりきれない大きな虹、人の目はいい、ぜーんぶ見える。しかしこんなすごい虹も馬には・・・。

 梅雨はやらねばいけない仕事がいっぱいある。牧草地に新しい種を播くこと。夏が来るまでにお客様のテラスに日よけを付けること。新しい馬を迎え入れるために小屋を新調すること・・・。やることがいっぱいあるということは、歳なんか考えてられない。

 そして今日の「馬楽のすすめは」第5回「馬と遊ぶ子ら」、沖縄タイムスの唐獅子のコーナーに載せたものです。

 

「馬と遊ぶ子ら」

 人が馬を家畜化するようになって五千年と言われている。そしてその5千年の間、人は馬を戦争の道具として使い続けてきた。先の大戦でもそうだ、馬に召集令状が届き、飼い主は国のために愛馬を泣く泣く差し出した。その心中は計り知れない。召集された馬は中国大陸や南方の島々に赴いた。その数50万頭と言われている。そして終戦、一頭の馬も帰って来なかった。僕はその事実の上に立ち、この活動を行っている。

 話は変わってこの夏、二つの団体が内地の子供たちを大勢連れて与那国島にやって来た。もちろんヨナグニウマと遊ぶのが一番の目的だ。朝7時、朝食のおにぎりをほおばって集合。馬のボロ(馬糞)を拾い、馬の草を刈り、馬にエサを上げ、馬にブラシをかけ、そしてやっと馬に乗る。

 与那国島を馬に乗って歩くのは爽快だ。草木に囲まれた農道を歩く。海辺の道を潮風を受けながら歩く。牧場に帰って牧草地を思いっきり駆ける。そしてスペシャルメニューは海の中での乗馬だ。海馬(ウミウマ)遊びと名付けた。この遊び、馬に乗って海に入る、汗をかいた馬たちは海の中で目を細めくつろぐ、人もくつろぐ。そしてスペシャル中のスペシャルは海の中で歩く馬のシッポにつかまってスイスイ泳ぐことだ。名付けて「シッポッポでゴー」実はこの遊び、今では沖縄中の馬の施設で夏のメインメニューになっている。内地でもやっているところが出始めた。話は子供に戻ろう。与那国島で馬の世話をし、乗馬をした子供たちは日が経つにつれ、その笑顔にたくましさが出てくる。まるでモンゴル草原の子供のように。

 乗馬は彼らに勇気を与え、ブラシ掛けは愛を育て、草刈は仲間との友情を育て、ボロ取は労働の楽しみを知る。そして結果馬への思いやり、人への思いやりにとたどり着く。

 滞在の最終日は暗くなるまで牧場で遊ぶ。子どもたちは、帰りたくないと懇願する。僕らはそんな彼ら一人一人にベタ褒めのコメントと「ヨナグニウマ・パートナーシップ証」を厳かに授与する。かがり火に照らされた子供たちの頬は皆涙で光っている。

                       親方マークン