明日は我が身
久米島から井上福太郎です。
昨年、今年とまたも大型台風が襲った与那国島。僕たちがヨナグニウマアライアンスというかたちで力を合わせようと手と手をとりあった理由の一つに相互扶助という考えがありました。
沖縄の地理的環境上、強力な台風との付き合いは避けられません。各馬広場は文字通り吹けば飛ぶような小さなところばかりなので、毎度台風にはひやひやさせられています。
大きな台風が来て、何かあった時に助け合える仕組みを作ろう。いざと言うときに被害にあった牧場を何とか出来るよう。
昨年は幸いにも久米島には大きな被害が出るような台風が来なかったこともあり、与那国の大規模な被害に対して小さいながら再建を手助けするいくらかのサポートをすることが出来ました。
しかし、いつも僕たちの胸にあるのは明日は我が身の一言。いつも肝に命じている一言です。
そして遂に今年は久米島でも史上最大と言われる台風が通過していきました。島に与えるインパクトも大変なもので大木がそこら中で倒れ、車のガラスを破り、電柱もなぎ倒すことでエリアによっては3日間の停電に断続的な断水という大きな爪痕を残して行きました。そして、まだNTTの災害復旧班が島中で復旧に奔走しております。
沖縄暮らしが10年になる自分達にとっては初めての猛威ではありませんでしたが、やはり色んな事が心配で不安な夜を過ごしました。
幸いにも動物達には何もありませんでしたが、倉庫にしていたプレハブが大破し、80メートルくらい道路を滑走していたようでした。
周りの民家に迷惑をかけることがなく、ほっと胸を撫で下ろしましたが、馬具庫が一夜にして無くなりました。
馬達はスタート当初からスタイルを変えず森の中に自由放牧していたので、電柵も崩壊せず朝にはケロッとした表情で再会しました。
人が造ったものは必ず壊れるものです。
台風はいつも自然の怖さと自然の逞しさの両方を感じさせ、また謙虚な気持ちで自分達のあり方をもう一度考えさせる機会を与えてくれます。
今後も、仲間と一緒に何が無くとも、したたかでしなやかな僕たちらしい強さを考えて行けたらと思っています。
アダンの薮の中でどんな嵐も耐えしのぐ与那国馬のような強さを。
馬楽から離れた話ばかりになってしまいました。
久米島は、撮影、取材ラッシュが続いています。
バックパッカーと馬④ インド・プシュカル
ナマステ。今回は中東を離れ、混沌の国インドへ。色鮮やかなターバンやサリーと出会う、バックパッカー流インド乗馬をご紹介します。(実際は台風17号の番をしておるのです)
首都デリーの西、パキスタンと国境を接し、タール砂漠を抱える広大なラジャスタン州。マハラジャの宮殿や城が今なお残る都市が、観光地としても有名ですが、そんな中にプシュカルという小さな町があります。デリーから直通のバスもありますし(10時間くらいかかったかな・・)、山を一つ越えたアジュメールというイスラム教の聖地の町へは鉄道も出ています。
プシュカルの町の中心には聖なる池があり、池の周りを囲むように「ガート」と呼ばれる階段状の沐浴場と、バザールと、住宅とが入り乱れ、プチ・カオスな街並みを形成しています。もちろん沐浴場へと続く細い石畳の上にはいたるところ牛の糞。そしてインドの聖なる動物・牛たちが人に混じって通りを闊歩してゆくのです。(夜中に路地裏で突然に巨大な牛に出会ったりすると恐怖です)
この町は年に一度の大ラクダ市でも有名ですが、ヒンドゥー教のブラフマー神を祭る聖地として広くインドに知られた町。聖地であるという事はヒンドゥーの放浪僧や、巡礼者、旅人が常に訪れる土地ということ。インドではこういった町には独特の雰囲気があり、祈りと、喧騒と、静けさと、賑わいがちょうどよく混ざり合い、旅人を惹きつける強烈なパワーを持っています。プシュカルは、歩いて端から端まで回りきれる手頃なサイズや、ラジャスタン特有の色彩も魅力です。
僕が訪れたのはラクダ市の終わった12月から1月の冬。砂漠の国ラジャスタンの夏は強烈な暑さですが、冬の夜などは少し肌寒いくらいでした。泊まっていた安宿の家族が、夜になると集めてきた牛の糞を焚き火にしていたのを覚えています。
この小さな町で素敵なホーストレッキングを敢行しているのはバザールの終点・ブラフマー寺院の目の前にあるお土産屋さんでした。ご主人が馬が好きで、自己流で飼い始めて、乗り始めて、乗馬を提供し始めたとのこと。馬の厩舎が町の外れにあるのですが、僕の宿がちょうどその近くで、宿の息子が「ここでは馬にも乗れるんだぞ」、と軽く教えてくれたのがきっかけで、プシュカル滞在の2ヶ月間、馬に乗ることが毎日の僕の日課となってしまいました。(インドの魅力は物価の安さ!当時は2時間乗って500円くらいでした。今はもっと値段が上がっているはずだとは思います)
今日は東へ。
次の日は町中を通り抜けてからに町の西の方へ。
プシュカルは有名な聖地ではありますが荒野の中の田舎の町。荒地に一筋伸びる乾いた土の道を、馬に乗って町から外へ外へ。しかし(ここは人口10億人を超えるインド)、どんなに田舎へ行っても、更にそこから外へ行っても、地図からはうかがえない、道と、村と、人とがそこには待っていました。手つかず、なんて言ったら失礼ですが、ありのままに。
そんな集落へ馬に乗って足を踏み入れる。ヤギや羊が走り回り、子供たちも素っ裸で走り回り、井戸の周りには水を汲みに来た女性たちが集まっています。彼女たちの着る、鮮やかなサリーやパンジャビードレスが褐色の世界に、とても映えている。強烈な日差しと乾いた大地、家の壁など泥で固めてあるだけ、垣根は潅木の枝を立てて並べただけ。アスファルトやコンクリートのない世界。そんな中だからこそ、サリーが映えて見える。一瞬で視覚にうったえる。
「うわっ、インドだ」と幸せを感じる瞬間。
人それぞれ、インドで幸せを感じる瞬間があると思うのですが、この場合、このサリーの世界に入ってゆく手段が、馬だったのが、またよいと思うのです。例えばこの集落にジープか何かで砂埃を上げて乗り付けて、車のドアから出てくるのとでは、何か違うと思うのです。音も関係があるのかもしれない。静かに入っていくと、意外と静かに彼女らも迎えてくれる。
プシュカルから出る車道を進んでゆくこともありました。
町へ向う人、町から出て行く人、巡礼、通学、様々な人とすれ違います。車道といっても荒地の中をアスファルトが伸びるだけ、景色としてはやはり褐色の世界。この地方ではいわゆるターバンを頭にまく人が多いのですが、その色がサイケデリックなほどの原色。黄色・青・紫・赤・・・様々な極彩色のターバンがこれまた砂漠に映えるのです。羊飼いだったり、自転車で行く人だったり。馬上から、近づいてきたり、遠ざかっていくターバンを眺める、これが意外と楽しい。
道をひたすらにゆくと、文房具からシャンプーから自転車のタイヤからありとあらゆるものを備えた小さな小さなチャイ屋さんがある。馬上の甘―いチャイが、美味しくないわけがない。
荒野ですれ違う人々を見ていると、このままこの人たちは放浪してどこへでも行ってしまうのではないかと思えてしまいます。そんなことはない、ほとんどの人が、この荒野の中に道なき道と使命を持って通勤したり、通学したりしているはずなのですが。旅の空、たまたま今日はプシュカルに寄っただけ、明日は・・・という風に錯覚させてしまう、ジプシー的な風格が自然にあるのです。(ロマの起源がラジャスタンにあるとも言われています)
自分が馬という移動手段を使っているからかもしれないし、彼らがあまりにも普通に荒野を移動しているからかもしれないし、そのカラフルな民族衣装の奥に音楽や踊りや神秘的な何かが詰まっている様に見えるからかもしれない。
インド・プシュカルでのホーストレッキングは、そんな神秘の国インドを、楽しむ為の、ちょっと変わったツールかもしれません。インドで乗馬?インドっぽくないかもしれません。だからこそ、ツーリストっぽくないインド世界をこっそり見に行けるのです。
デリーのバザールですれ違うサリーとは違う、日本のインドカレー屋さんで見るターバンとは全然違う、原色のインドを見る素敵な乗馬。プシュカルにて数時間のトレッキングから、ラクダとともに行く数日間のサファリまで、是非!(10年も前の話だけど宣伝みたいになってしまった)
馬学
海も空も山も秋の色になってきましたね。
久米島からサノちゃんです。
9月も終わり間近。
四季の変化が乏しいと言われる沖縄ですが、そんなことはなく、身の回りでは実に多くのものが季節の移り変わりを見せてくれています。
馬たちの毛もちょびっと秋冬モード(笑)
さて、私事ですが、少し前に誕生日を迎えて38才になりました。
思い返せばちょうど(多分)10年前。
与那国で広場が発刊している「馬新聞」に、親方からのお題で「自分の10年後の夢」を書きました。
スタッフ全員書きましたねー覚えてますか、皆さん?(笑)
絵が上手なみえちゃん(現石垣島馬広場)は可愛らしい絵を描いてたなぁー。
私はその時が馬に関わるようになってちょうど10年だったんです。
大学の馬術部に入ったのが18才の時なので。
あー10年が区切りなんだなぁと思い、特にこれといって確信は何もないのに、3つの予言をしました。
詳細は省くとして(笑)、それなりに想いが叶っていることに感謝しつつ、これからの10年を考えたら…。
私はもっと馬からの学びを活かしたい。
親方から教わった「馬は自分を映す鏡だよ」という言葉。
馬に関わることになった理由。
それは自分の中にあるんですね。
私は馬から「忍耐」を学ぶために、「怒り」を手放すために、この10年を使いたい。
今までの人生で「怒り」は大きなエネルギー源になったこともあるけれど。
馬と子供と過ごすことが多くなった今、それは要らないかな、と。
以前、都井岬で野生の馬たちを観察・コンタクトをとる機会があったとき。
馬の思考の時間軸が人とはあまりに違うことを知りました。
身体的には瞬時に反応するものの、思考はとてもゆっくりなこともあり、彼らの平和な営みがいかに人の(私の)思考や動きとはスピード感が違うか。
自分は馬に近付きたい、馬に教えてもらいたい、そう強く思いました。
人それぞれ馬と一緒にいる理由や目的は違うと思います。
私にとって、馬は先生。
馬からの学びを身に付けて、活かせるように。
さらにその先には人に伝えられるように。
そう思いながらこの数年馬と付き合ってきましたが、出来たり出来なかったり、やっぱり出来なかったり(笑)
なかなか難しいことですが、じっくり向き合っていこうと思います。
ということで、馬楽というより馬学なお話となりました。
久米島馬牧場
井上 恵子
お騒がせ
あっ、また日曜日が過ぎ去って…。
久米島から井上福太郎です。
久米島では、先の16号台風はかすった程度で大したことはありませんでしたが、昨年に引き続き与那国島の被害に心を痛めております。
久米島は久しく強力なのが来ていませんが、いつでも油断は禁物です。
久米島では、今年2月に産まれたマメという子馬がいます。
子馬は大人に比べて良く寝ます。
最近は島の人の目に良くふれる場所に放牧していることもあり、何件も"あんたのところの馬、倒れていたけど大丈夫ね!?"という電話を頂きます。
"子馬は良く寝るんで大丈夫だと思いますが、確認してみます。ありがとうございます!"とお答えするのですが、やはり泥のように眠るマメの姿。
初め見た方はビックリするのですが、子馬は本当に良く死んだように寝ます。
しかし、僕たちにとって非常にありがたいのは島の方々がこれだけ気にして僕達の馬のことを見てくださっている、また、馬のことを心配して面識のない方もわざわざ報告して下さることです。
久米島ならではでもあると思いますが、地域に見守って頂けるというありがたさに大いに感謝しております。
放牧地横で立ち止まる車、嬉しそうな顔で見つめる子供の姿。少しづつ、久米島でも小さな馬広場が島の景色に浸透してきている証拠でしょうか。
サギに止まられるマドカ。のどかな放牧地の図。
本当にいつも地域の皆様に支えて頂きながら、今日も馬たちの草を刈ることが出来る。感謝してもしつくせないことです。
久米島には馬がいるよ。あそこにいったら馬に会えるよ。井上さんとこいったら馬と遊べるよ。
今日も幸せを感じ馬を曳きます。
おもてなし
日曜日です。
久米島馬牧場よりサノちゃんです。
海の冷たさに秋を感じる今日この頃。
日も短くなりましたね。
怒濤の夏が終わりに近いと思うと、ホッとするような、寂しいような。
今年も沢山の出会いに恵まれた夏でした。
この春から民泊とファームステイの受け入れを始めた自分たち。
実に様々な方が来てくださって、本当に貴重な体験をさせてもらっています。
田舎の小さな島にいながら未だ見ぬ異国の話、知らない職業の世界の話を聞ける。
あー世界は広いなー、色んな人がいるなぁ。
昔、自分も荷物を車に詰め込んで、オーストラリアで半年間のキャンプ生活をした時のこと。
数え切れない出会いがあり、会話があり、沢山の人にお世話になりました。
お世話になる度に「このお礼をどうやってしたらいいんだろう」と考えていたら、
あるとき「あなたがいつか誰かに同じようにしてあげて」と言われてハッとしたことがあります。
私は島の楽しみ方や島での遊びを親方や友人たちから教わりました。
自分も誰かにそれを伝えられたらいいなぁ。
かつて旅の空でお世話になったあの心温かい人たちへお礼をするつもりで、来客をもてなせたらいいなぁ。
と思いながら、なかなか汗臭く泥臭くオモテナシをしている日々なのです。
久米島馬牧場
井上 恵子
写真は先日ファームステイに来てくださったMさんから。馬はククルです
馬介在教育(学校で馬を)
ついに今年もこの季節になりました。
与那国島の比川小学校の秋の運動会での「馬と子どもたちの演技」、
今年もその練習が始まりました。
本番は9月18日、日曜日です。さあ、今年はどんな演技になるのでしょうか?
与那国のスタッフは寝食を惜しんで(?)頑張っています。
(写真は以前の様子です)
さて「馬楽のすすめ」は金曜日は言い出しっぺの「親方の日」です。
今回も手抜きをしまして、昨年沖縄タイムスに連載しましたエッセイ「唐獅子」その7回目を転載します。タイミングよく「馬介在活動」になってました。
【唐獅子】その7
馬牧場に吹く風に秋の気配は感じられるものの、昼間はまだ暑い。馬は本来暑さに弱い。もともと北が原産だからだ。しかし与那国馬は沖縄にやって来て以来約700年の間に、高温多湿の環境や主食となる草の種類にも順応する力を獲得した。そして、小さいが従順で辛抱強く足腰の強い馬となった。
沖縄本島での馬の活動は馬運車で出かける乗馬会が頻繁にある。馬運車には大きな馬の絵が描かれ、とても目立つ。時々、知り合いから「おおーい!」と呼び掛けられる。先日もそうだった。その日はとある公園で、幼稚園の乗馬会。通りがかりの車が止まってこちらに手をふっている。おやまぁ、20年前に与那国に学校の先生として赴任してこられた先生ではないか。実はこの先生こそ、与那国赴任時代に学校教育に馬を取り入れた張本人だった。
当時はまだ馬は危険・汚いと思われ、学校の授業に馬を使うなんて考えられない時代だった。ところがこの先生は赴任してきたその日から、我々の牧場を訪ね、家族で乗馬を教えてくれとお願いされた。そして小学校の生活科の時間などを使って本格的な「馬の授業」が始まった。実に画期的な出来事だった。もちろん我々は、長いことそれを待ち望んでいた。
馬を使った授業は乗馬だけではない。工夫すれば全教科に使えるのだ。与那国馬と暮らしていた頃の話を近所の古老に聞きに行って作文にすれば、社会と国語。馬の餌を探しに行けば、植物の勉強で理科。馬の餌の分量をグラムやリットルで量って上げれば算数に、などなど。もちろん乗馬は、身体能力を高める体育に使える。
しかし何より効果的なのが「心を育てる」ことだ。子どもたちは馬の授業を心待ちにし、実に生き生きと楽しんだ。またこの先生は、馬の教育的効果を心理学の面から実に見事に理論化してくれた。
離島の先生の赴任期間は普通3年だが、この先生は倍にのばして合計6年間もいてくださった。そして、もう一つの偉業を成し遂げた。なんと学校に「馬クラブ」を発足させ、なおかつ運動会に乗馬演技を持ち込んだのだ。この先生との出会いで、馬の活動は大きく広がった。今年の与那国島の運動会も、もうすぐだ。
(2015・9・23)
喜び
ああ、台風が来ない夏。
久米島からご無沙汰してしまいました。
台風が来たら休もうと思っていたら、全く来なくて8月が終わってしまいました。
怒濤の8月、担当の日曜日があれよあれよと過ぎて、3週もお休みしてしまいました。ごめんなさい。
毎日人も馬も歩いています。
今日は馬飼いの喜びについて書きたいと思います。僕たちが共に働く在来馬たちは今、決まった仕事をするために生まれてくる存在は稀です。
ほぼ野生状態で自然放牧のまま一生を過ごす馬もいれば、人と共に暮らすことになる馬もいます。仕事はせず飼われている馬もいれば、様々な仕事を課せられる馬もいます。
僕達久米島馬牧場にも、色んな経歴をもってやって来た在来馬たちがおります。
共に生きる僕達と馬たちは必ず一緒に仕事をします。
そのなかでも鹿児島から来たトカラ馬のハナという1頭の在来馬がいます。
彼女は鹿児島大学の農場から3年前にやって来た女の子です。ほぼ自然放牧の状態から人のもとに移り、人に馴れずに輸送を経験し、触ることも出来ない状態できた在来馬でした。
自分達も子育てに追われ時間が無かったこともありますが、自分達らしくゆっくり育てていこうねと沢山の方に関わってもらいながら、気付けば3年が経っていました。
そのハナが今年まだまだどきどきですが、浜のお仕事に長距離外乗にデビューしています。
与那国をはじめ、在来馬の故郷では決まった仕事をするために生まれてくる馬ではない馬たちが沢山いるからこそ、馬と人との距離が遠いところから始まる場合が多々あります。
でもそこから感じられること、得られるものはかけがえの無いものです。
親方の「馬のことは馬に聞きなさい。」という言葉を胸に、毎日悩み、泣き、笑い。蹴られ、噛まれ、落とされ。すこしづつ縮まる距離を感じながら信頼関係を築く。そこに馬飼いの喜びがあると感じています。
そして、共に働いたその日、その全てが思い出され思わず全身で愛撫してしまう自分がいます。
久米島馬牧場 井上福太郎