リクの怪我
今回、リクを稲美で飼うことになった
1つの目的として、
怪我の治療があります。
怪我が多く、治りにくいリク、
与那国では治りにくい気候で
治りそうで治らない
そんなリクを稲美で飼うことで
どう変わるか、も
楽しみであります(^^)
10月の19日に帰り、
今日で約1カ月半たちました。
どう変わったかというと…
これでもよくなった時ですね、
いたそ〜〜(*_*)
それが、今は
上の右写真の怪我は完全に完治!
あとはこの2箇所です。
かなり小さくなりましたよね(^^)?
もう、さわっても痛がる様子は
ありません‼︎
完全に完治‼︎
楽しみですね〜(^^)!
バックパッカーと馬⑤ インド・ラダック
今回も前回に引き続き、インドから馬のお話をしたいと思います。
インド北部に中国やパキスタンと国境を接する「ジャンムー・カシミール州」という州があります。ジャンムーもカシミールも地域の名前になるのですが、この州の東側はラダックと呼ばれるチベット文化圏が広がっています。カシミールはイスラム圏、ジャンムーはヒンドゥー圏と、一つの州の中で文化・言語・宗教が異なる、これがインドの大きさなのですが、特にこの地域はヒマラヤ山脈の西端でもあり、山と谷が入り乱れ交通もまだまだ不便な地域です。州の中央部のザンスカールという地域は陸の孤島・秘境としても有名です。
今回紹介するのはその中でもチベット文化圏のラダックの中心の町、「レー」で行われるお祭りのポロについてです。
レーの町は標高が3000mを超え、レーへ向うルート上には5000m級の峠もあります。そのため、冬の期間は陸路での移動が困難になるので、ラダックへ訪れるのは夏がよいシーズンとなります。空港もあるので飛行機でもいけますが、陸路で徐々に高度に慣れていくのがお勧めです。デリーから北へマナリーへ。ダラムサラを経由するのも、チベット文化を知る上ではいいでしょう。(チベットと言えば広場では「ルンタ」がチベットの名前です)当時はマナリー・レー間の移動は陸路で丸まる2日間くらいかかりました。パンク、がけ崩れなどハプニング続きの移動ですが、世界の果てへ向っていくような、そんな景色が窓の外をただひたすらに流れていくのを見ることが出来るでしょう。移動時間であり、観光時間であり、瞑想時間のような、そんな旅です。
そして8月末から9月にかけて、ラダックが暑く、明るく、活気のある時期にラダックフェスティバルというお祭りが、観光客向けに近年は行われています。このフェスティバルのイベントとして開催されるのが、ポロ、なのです。
ポロ、というと、ポロ・ラルフローレンが有名ですね。あのロゴがそのスポーツを端的に表現しています。馬に乗ってスティックをふって球を打つ、馬上のサッカーとでもいうのでしょうか。日本では現在は行われていないようです。選手・施設などがまったく整っていないとのこと。ただ将来は・・・日本でもポロが見れるといいですね。
盛んに行われているのは、イギリスの植民地だった地域が多いようですが、発祥の地、となると、どうやらペルシャ(イラン)の王宮にて発達したのがポロの原型と言われています。ラダックフェスティバルで行われるポロは、イギリスが近代に入って制定したルールと少し違うようでしたが、そんなことはいいでしょう。インドの方がルーツに近いはずです。
ラダックフェスティバル、レーのポロの特徴は、何よりもその競技場の壮大なロケーションでしょう。ポログラウンドに両チームの馬が勢ぞろいし、駆け回るその背後にそびえたつのはチベット、ラサのポタラ宮のモデルとなったと言われるレー王宮。石とレンガで積み重ねられた建造物は、歴史と文化の重みを背負って高く、山々に負けぬようにそびえ立っています。背後にはラダック山脈。極度に乾燥した地域であるラダック、高原といっても緑や水の少ない地域。透き通る空と茶褐色の山々、そんな天空の町の荘厳な王宮、そして馬たち。もう、言うこと無しなのです。
僕がラダックフェスティバルを見たのが2004年と2005年。10年以上の月日が流れ、レーも発展しているでしょうが、ラダック・レーは僕の大好きな場所、TOP3にも入ります。レーのことなど全く知らず、ポロが見られる、という情報だけでヒマラヤの裏側まで行って見たものは、その壮大なポロの景観でもありましたが、中国側のチベットではなくなってしまった、生きたチベット文化圏であり、陸の孤島の中で暮らす人々であり、清く澄んだ世界でした。この出会いが、この時の旅の大きな収穫でした。
馬好きの人なら、この写真を見て、きっとこのポロを見てみたい!と思ったはず。
是非、馬に釣られて、出かけてみて、ラダックの世界を見てもらいたいと思います。色々な旅がありますが、ラダックへの旅は格別です。
馬を追いかけていったら、思いもよらず、自分にとって大事なものに出くわした、ということが起こるかもしれません。これも一つの馬楽じゃないでしょうか。
馬から学ぶこと③
久米島より、井上福太郎です。
繁忙期の夏が終わり、すこしづつやりたかったことを実践出来る季節になってきました。どうしても真夏の彩度の高いロケーションが少なくなるこの季節。そんな時は馬とじっくり向き合う遊びがいいなあと、新しいメニューにチャレンジしています。
その名も「在来馬の歴史と生態から学ぶリーダーシップ研修」。
固すぎです…。
大層なネーミングをしてしまいましたが、内容は馬とコミュニケーションするってどういうこと?それを体感してみよう、学んでみようというコースです。
まずはパートナーになる馬を決めてもらいます。コミュニケートする上で一番大事なのは、馬たちを個として捉え、個と個としてつきあうことだと考えています。
そして、パートナーの観察。この馬はどんな馬なのか、その人なりに観察し、感じてもらいます。
この時間が非常に楽しいんですね。私たちもその人がうちの馬達をどう捉えるかが凄く楽しみで、こちらが得る気づきも本当に多いです。
そのあと1対1で実際に目標を設定して、馬と共に達成にチャレンジしてもらいます。今回はA地点からB地点へ馬を連れていくというもので、そこにたどり着くまでには簡単なゲートを越えて行かなければなりません。
今回は3名様のエントリーで、正に三者三様のアプローチが非常に面白かったです。餌でつる人、動きで注意を引く人、ささやきお願いする人。馬の動きも様々で、警戒して近づかない馬、なにもしないでも通ってしまった馬、ひたすら草を食べる馬。
そこに台本はなく、誰も先を予測できない一瞬一瞬がこの生身の生き物とのコミュニケーションの一番の醍醐味です。
こちらも想像し得ない現場のアクションに皆が盛り上がりました。
最後にはグランドでのやりとりを活かして乗馬へと移行しましたが、最終的には皆様前半のやりとりがとにかく楽しかった、想像したのと全然違ったとの感想を頂き、初回にしては大成功となりました。
こののんびりしたシーズンに、学びの多いコミュニケーションプログラムをもっと濃い~ものにしていきたいと考えています。
ラブレター
この写真、今「うみかぜホースファーム」で一番馬に夢中な中二の子です。土曜日の午前の「キッズクラブ」が終わってもずっと馬の傍で語らっています。良い光景です。嬉しい光景です。
そして今日は嬉しいお手紙を紹介します。もちろん本人の了解済みです。これも中二の子です。与那国島で我々が長年やってる「日曜町民乗馬の日」に2歳から通い、3歳で乗馬を始め、毎週通っていました。でも小3の時に大阪に引っ越しました。でもでも、大阪でも乗馬を続けていました。そして先日彼女から嬉し手紙が届いたのです・・・。
マークンへ
とーってもおひさしぶりです。元気ですか?まつりは元気で毎日あわただしく暮らしています。急に何かお手紙スミマセン。。
何か最近よく将来について考えたり、与那国の馬のことがずーっと頭の中に入っていて、この夏休みのことをマークンに報告しようと思って手紙を書きました!!
まつりは夏休みに一人で与那国に行ってきました。もう与那国には同級生が一人しかいませんが、馬のことだけをほとんど考えて行ってきました。
*以下中略しますが、馬広場で数日間スタッフと馬のお世話をした様子や、昔のお気に入りの馬に再会したり、乗ったりしたことが書かれていました。そして・・・
今年はいつもと違う夏休みが過ごせて、とてもいい思い出になりました。最後の最後までスタッフ気分にもなれました。6年生の夏休みにも与那国島に行った時から、将来は「ヨナグニウマふれあい広場」のスタッフになりたいと思っていましたが、今年又ヨナグニウマに会って、この気持ちがもっと強くなりました!! まつりは将来広場のスタッフになって、後を継ぎたいと思っています。
今大阪に住んでいて、与那国馬に会う数が少ない分、大阪の馬と触れ合っていこうと思っています。
*中略。
マークンは馬のスタッフになるためには何か免許が必要と思いますか? 教えてください。まつりも今ほんの少しずつですが「馬の動き」という本を買ってもらって勉強しています! 漢字が難しく読むのが大変なんですけど・・・・。
最近はホームステイで外国に行って、外国の馬にも乗ってみたいと考えています。
スタッフのみなさん、マークン、体に気を付けて仕事頑張ってください。毎日忙しいと思いますけど、返事書けたらお願いします。ではまた!
まつりより
1992年から始まった「日曜町民乗馬の日」与那国馬が大好きな子供たちが大勢生まれましたが、高校入学と同時に島を出て、ほとんどの子が島に戻らずの中、こうやって島に戻って馬の仕事に就きたいという子が現れましたね。親方冥利に尽きます。という今回の「馬楽のすすめ」でした(前回の僕の回は「馬が苦」でしたが・・・)。もちろんこの手紙には本気で返信しましたよ。
親方マークンでした。
はじめまして!
今週の木曜日より、新たな馬仲間にリレーブログに参加してもらいます!与那国島から1頭の与那国馬「リク」と共に兵庫県の稲美町という場所で馬暮らしを始めた通称「あんちゃん」です。
馬と共に暮らしながら、その町で小さな馬広場を始めて行きたいとの思いで馬暮らしを始めました。
馬を専門的に学んだことはないけれど、馬のことは馬に、そんな日々の奮闘記を綴ってもらいます。どうぞ、おたのしみに!
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今回がブログ書くのが初めてで
何から書いていいのか…
悩みます…。
とりあえず今回は、紹介でも!
兵庫県稲美町でよなぐにうまのリクと暮らしています、杏奈です。
大学までは20歳まではほんとに馬との関わりはゼロに等しく、ちいさいころに乗ったことあるかなー程度で、飲食関係の仕事しようかなと考えていたころ、22歳の秋、ふと牧場へ行こうと思いました(°_°)笑
飲食の仕事もしたい!けど、牧場で働くのも憧れるなーなんて。
もやもやするなら満足してから飲食に専念しよう!と思って長野へと1週間牧場研修に行きました。
そこで過ごした1週間.ほんとに大変でした。朝は早いし、体力仕事。
けど、楽しかったんです(^^)
諦めるどころかますます興味がわいて…1週間なら楽しいに決まってる、じゃあ、今度は3ヶ月行こう‼︎
となり、調べて出会ったのが久米島馬牧場でした!
そこで福太郎さんけいこさん、ハナとの出会いが私を馬の道へ…。
過ごしたのは2ヶ月半でしたが、凄く濃いくて毎日が充実して楽しくて、ハナの成長に感動して、そんな生活が羨ましくて私もいつか馬と生活できたらなーなんてお話していたら1頭どうか?と話がきて、今じゃなくてもいいと言われましたが、勢いも大事だと、あの時…と後悔もしたくなかったので不安もありましたが、勇気をだし決断しました。24歳春与那国へ、リクと出会いました。
ボロ拾いをしていたら寄ってきて、人懐こいし優しい目で仲間の中では弱い立場、守ってあげたくなるような、そんなこでした。リクとなら生活できるような気がする!と決断して、9月もう1度与那国へ。
与那国でリクとの1ヶ月
これもまた濃いかった!笑
与那国での出会いもまた私をどんどん馬の道へと引き込んでくれました(^^)
10月の19日
与那国で生きてきたリクを
親や兄弟、仲間たちから引き離し
長い長い船旅
感じたことのない寒さ
見慣れない土地に
私の勢いでつれてきました。
私1人人間の都合ですが、
私はリクと共に暮らしたい、
私のわがままに付き合わせているリクにはたくさん我慢してもらうかもしれませんが、幸せだと思うこともたくさんしてあげようと決めています‼︎
そんな生活を
馬楽のすすめで書いていこうかと…
私の投稿をみて、
馬知らずな私を
監視してください、笑
歓びの中に。
今朝のこと。
オモチャになっていた私の古い携帯(ガラケーですね)をいじっていた娘が。
ふとしたはずみに電源をつけてしまい…
お!これは!
と思いデータを見返すと、出てくる出てくる懐かしい写真たち。
その中にあったのが上の一枚。
このパズルのピースのような模様。
我が家のイースです(笑)
生まれた日の朝。
「し、白い…!!」
という衝撃の朝(笑)
出自はどうあれ、新しい命を迎えるのは何よりの幸せですね。
親方マークンも嬉しそうです。
与那国に移り住んで広場の馬と関わるようになって良かったことのひとつは、
今そこにいる馬の過去も未来も見続けることができる(少なくともそう思える)こと。
内地で馬に携わっていたときは、その馬がどんな生まれでどんな風に育ってきたのか。
お母さんはどんな馬だったのか、お父さんは?
知りたくても滅多に知ることはできず、
いつまでここにいるのか、このあとどうやって生きていくのか…。
なんの保証も確信もありませんでした。
でも与那国で馬と暮らして、そこに生まれてそこで育ち、子を生み育て、死んでいく。
生き物としては当たり前の流れにずっと関われる幸せを知って。
その安心感、自分が責任を持てる喜び。
馬の世代を越える繋がりを見る面白さ!
これは馬の産地であり、育成、仕事、暮らし、養老と全てひとところで行われている場所ならではの馬楽ではないでしょうか。
昔の人たちも同じように在来馬と暮らしたのかな。
馬が好きな人にはぜひ体感してもらいたい歓びなのでした。
久米島馬牧場
井上 恵子
ちなみに。
現在のイース。
アナタ大きくなったね~(笑)